豊後街道
弁天坂と境の松坂の2つの坂は、肥後藩主加藤・細川両氏が参勤交代道として通った江戸時代より、肥後と豊後を結ぶ街道として利用されてきた。火山灰土のため土砂の流失がひどく、豊後街道の中でも二重の峠、滝室坂に次いでの難所と言われてきた。現存している石畳は、文化4年(1807)から4年の歳月をかけて、久住の手永惣庄屋久住善兵衛が築いたものである。また、弁天坂の途中には日本一の大クヌギといわれる「鞍掛くぬぎ」がある。この街道は阿蘇谷を通って久住に出る。久住は街道のほぼ中央にあたり、東南には竹田へ、北西には小国への道が分かれていた。