宮本武蔵生誕之地碑
宝暦十二年(1762)に書かれた、地誌(播磨艦)に当時、宮本武蔵が太子町宮本村で生まれたと記載されています。また、晩年、武蔵を知る唯一の史料、自筆'(五輪書)に武蔵が自ら〔生国播磨の武士〕と記載をされています。残念なことに、宝暦年間の大火災にて村の大半が被災し、武蔵に関する資料、古文書、系図等の大部分が焼失。さらに、明治二十年におきた再度の大火災により総ての史料、古文書等は灰となってしまいました。現在、武蔵生家跡として、言い伝えられた場所には古井戸が残っているだけです。