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露天神社(お初天神)

梅田の「お初天神通り商店街」を南へ行き当たると、ビルの谷間に露天神社(つゆてんじんじゃ)がある。創建は、1300年以上遡るといわれ、少彦名(すくなひこな)命と菅原道真を祭神とする、梅田・曽根崎(古くは曽根洲と呼ばれた)の総鎮守。昌泰4年(910)、菅原道真が太宰府へ左遷配流される途中、当社に立ち寄って「露と散る涙に袖は朽ちにけり都のことを思い出ずれば」という歌を詠んだことにちなんで、「露天神社」と称するようになったと伝えられている。一方、通称の「お初天神」は、近松門左衛門が、元禄16年(1703)4月7日に、当社「天神の森」で起こった、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」の情死事件を題材に、「曽根崎心中」を劇化して大評判になり、大勢の参拝者が訪ねたことに由来する。現在も、恋の成就を願う多くの人々が訪れている。毎月第1・第3金曜日には、「お初天神蚤の市」が開かれ、特色ある古物商約30店が軒を並べる。

大阪市立東洋陶磁美術館

営業:9:30〜17:00(入館は16:30まで) 定休日:月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始(12/28〜1/4)、臨時休館有り

※平成23年12月26日(月)から平成24年4月6日(金)まで、展示照明のLED化、展示台の免震化等の工事のため、休館いたします。中之島公園内の一角にあり、世界的にも有名な東洋陶磁の宝庫「安宅コレクション」を住友グループ21社より寄贈され、1982年に大阪市が設立した美術館。その後、在日韓国人の李秉昌(イ・ビョンチャン)氏から多くの韓国陶磁が寄贈され現在に至る。国宝に指定されている油滴天目の茶碗、飛青磁の花生の2点と、青花蓮池魚藻文の壷や青磁の童女形水滴など重要文化財13点を含む約4000点の館蔵品は、東洋陶磁器のコレクションとしては世界一級のもの。自然採光を利用した展示室では、柔らかな太陽の光に包まれた美しい陶磁器を見ることができる。ビデオによる詳しい解説もある。常設展のほか、さまざまな企画展も開催。

錦橋

営業:0:00〜0:00

朝日フェスティバルホールの南側にある、歩行者専用の橋。橋長55.1m/幅員10.6m。もともとは昭和6年(1931)に、土佐堀川に架けられた土佐堀川可動堰で、橋の下には浄化用の水門があった。昭和60年(1985)に橋面の美装化整備が行われた際、「錦橋」へ改名。コンクリートアーチ構造のどっしりとした橋の上には、江戸時代後期から明治時代初期の橋を描いた錦絵のタイル焼きが飾られ、中之島の歴史を偲ぶことができる。

難波橋(ライオン橋)

土佐堀川・中之島公園・堂島川をまたがる堺筋に架けられている、全長約190mの橋。橋詰の4ヶ所に、阿(あ)と吽(うん)それぞれ2体の石造のライオン像が配置されていることから、「ライオン橋」の愛称でも親しまれている。江戸時代、この橋は堺筋の西隣にある難波橋筋に架かっていた木橋で、北詰は樋之上町、南詰は北浜一丁目、橋長約207m、橋幅約5.7mの、幕府直轄の公儀橋だった。反り橋だったため、周辺の16橋や遠くの山々を眺めることができ、橋の上は花火見物や夕涼みの一等桟敷となるなど、絶好の行楽地としてにぎわっていたそうだ。明治45年(1912)、市電堺筋線を北浜から北の天神橋六丁目へと延伸する際に、現在の位置に移された。華麗な照明灯、中央の中之島公園へ降りる広い石造りの階段など、都市景観の創造が図られた設計が見事。近くに、大阪証券取引所をはじめとする、近代のレトロビルも群集している。

栴檀木橋

江戸時代の初期、土佐堀川を渡って中之島にあった蔵屋敷へ行き来するために架けられたと考えられる橋。橋筋に栴檀の大木があったところから、この名が付けられたという。明治18年(1885)までは木橋のままだったが、大洪水で流出。しかし付近に大阪図書館(現在の中之島図書館)や大阪市庁舎の建設が決まったため、大正3年(1914)に再び架けられた(その後、昭和10年1935にも架け替えられている)。現在の橋は、昭和60年(1985)に架け替えられたもので、旧橋のイメージを大切にしながら、橋面などは中之島図書館や中央公会堂など背景にある歴史的建築物との調和を重視したデザインとなっている。橋詰にその由来を伝える碑や大正時代の親柱、先代の橋の橋名板、センダンの木のレリーフなどが展示されている。

天神橋

中之島の「剣先」の上を通って大川(旧淀川)に架かる橋。文禄3年(1594)ごろ架けられたと伝えられるが、当初の橋には名がなく、「新橋」と呼ばれていたとか。天満の天神社管理下の橋であることから、後に「天神橋」の名がつくようになった。寛永11年(1634)他の11橋とともに公儀橋に指定された。中でも、天満橋そして難波橋とともに「浪華の三大橋」と親しまれ、「天神橋長いなー落ちたら恐いなー」と童歌にも歌われた。また、大塩平八郎の乱が起きた際には、反乱軍を防ぐために、幕府がいち早く天神橋を含めた三大橋を壊した話も伝わるように、近世では重要な役割をもっていた橋のひとつだった。明治18年(1929)の大水害で流失、同21年(1932)には、当時全国で最も長径間の道路橋として鉄橋に架け替えられた。現在の橋は松屋町筋の拡張に合わせ、昭和9年(1934)に、架け替えられたもの。全長210.7m、3連の軽快な鋼製アーチと両端のコンクリートアーチからなっている。

泉布観

営業:10:00〜16:00予定(入館は閉館時間30分前迄)※館内の一般公開は、例年3月下旬の3日間程度 定休日:一般公開以外は休館

国道を挟んで大阪造幣局と隣接する泉布観は、明治4年(1871)、創業当初の造幣寮(現在の造幣局)の応接所として建てられた。設計は明治初期の日本の洋風建築に大きな業績を残した英国人技師・ウォートルス。白い漆喰塗りの壁が美しい2階建ての建物は総煉瓦造りで、周囲にべランダを巡らせた「ヴェランダ・コロニアル」様式。室内は天井が高く、暖炉やシャンデリアなど優雅な装飾が施されている。「泉布」は貨幣、「観」は館を意味し、明治天皇が自ら命名したもの。国指定重要文化財。

日本銀行大阪支店旧館

営業:10:00〜16:00見学 休業:土・日・祝日、年末年始

土佐堀川、堂島川、そして大阪のメインストリート・御堂筋に面して建つ近代建築。明治36年(1903)にベルギーの国立銀行をモデルに建設された、緑青の色が美しい円屋根をもつレンガと石造りの3階建て本格的洋風建築だ。設計は東京駅舎や中央公会堂を手掛けた辰野金吾らによる。江戸時代この地には島原藩大阪内屋敷があり、明治初期には関西財界の指導者五代友厚の別邸があったそうだ。昭和の時代、業務空間拡大のため、一時は高層ビルへの全面建替えも計画されたが、3面の外部の壁面と内部の重要な部分を保存し、西側敷地に高層棟を新築した。予約すれば、旧館の内部や新館の営業室などを見学することができる。

大阪府立中之島図書館

営業:平日9:00〜20:00、土曜9:00〜17:00 定休日:日祝、年末年始、3.6.10月の第2木曜日(祝日の場合、その前日も休館)、特別整理期間

明治37年(1904)、江戸時代から大阪を本拠地として事業を続けてきた住友家の第15代住友吉左衞門友純(ともいと)が図書館建物と図書購入資金を寄贈したことによって建設された図書館。当初は「大阪図書館」という名称だったが、後に「大阪府立中之島図書館」に改名。大正11年(1922)には、左右両翼部分も寄贈で増築(国の重要文化財)。石造り三層、銅葺きのドームがそびえる重厚な建物で、建築を担当したのは、住友臨時建築部の建築家・野口孫市と日高胖。中之島図書館には、古文書や大阪関連の文献、ビジネス関係図書を所蔵。静かで便利な立地条件もあって、完成後約100年を経たいまもなお、研究者や本を愛する人たちに親しまれている。

大阪市立クラフトパーク

営業:9:30〜17:00 休業:火曜日・年末年始(12/28〜1/4)

大阪市平野区にある、ガラス工芸・陶芸・染色・織物・木工・金工などの工房を設けた手づくり工芸の総合施設。 専門的な設備・道具がある工房と指導員により、楽しくものづくりができる施設です。

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