観光地検索

全日本の観光地へ

1203 件の 97 ページ目 (0 秒)

史跡海会寺跡広場

営業:9:00〜17:30 定休日:土曜(第2・第4土曜は開館)、日曜、祝日、年末年始

遺跡からは、当時都にあった巨体な寺院のものと肩を並べる精緻な紋様の軒丸瓦や金メッキが施された風鐸など、古代を知るために重要な出土品が多数発見され、隣接する古代史博物館でそのうち150点が展示されています。

種河神社

1545年(天文14年)春、このあたりに病が流行し、病勢はなかなか止まらなかったが、こちらの神社の祈祷(きとう)した護札の効力があったため、庶民の崇敬を集めた。しかし天正年間(約400年前)の騒乱に際に社房は焼失してしまった。その後、三谷之荘内に種々の争論が起こったが、荘内に祭ってある神々を合祀することにより、荘内がまとまり争論がおさまり、今の地に、社殿を建て荘中の総社としたのが、今の種河神社の由来である。春には約100本の桜がここに咲き乱れ、家族連れなどで賑わう。

厩戸王子跡

熊野詣の際、一刻も早く熊野の神様にお参りできるように、その道筋にたくさんの参拝所(王子と呼ばれ、熊野大社の末社)が設けられた。その1つがこの厩戸王子である。王子は、参拝の他に大阪から熊野に出る道中の休憩所や宿泊所も兼ねていた。熊野九十九王子の1つである厩戸王子は、第1の窪津王子から数えて17番目にあたるという。1907年(明治40年)に、一岡神社に合祀された。

林昌寺

愛宕山という小高い山の中腹に、ひっそりと門を構える林昌寺。その歴史は古く、天平年間(729年〜)までさかのぼる泉南の古刹だ。境内に入ると、まず重森三玲作の「法林の庭」の美しさに目を奪われる。阿弥陀の浄土を表すという庭の優美な曲線を見ていると、日頃の雑然とした感情が整理され、穏やかな気持ちに変わっていくようだ。庭の最上部からのびている参道には四国88ヶ所の本尊が祀られており、1時間ほどで巡礼できるようになっている。

岡中鎮守社の樟

かつては大木に覆われて日中でも薄暗く、鎮守の森といって小社があった。しかし、この小社は信達神社に合祀され、大木はどんどん切り倒されて、今は樟と槙しか残っていない。平成2年には隣にそびえたつ槙の木も府指定天然記念物になった。

男神社

男神社の歴史は紀元前まで遡り、別名は「おたけびの宮」と呼ばれている。五瀬命(いつせのみこと)と神武天皇の霊を浜宮の地に祀ったのがはじまりとされています。その後、859年(貞観元年)、現在の地に遷在されました。社は旧延喜式内社で、近くの双子池を中心とする一帯は男里遺跡があり、かなり広い範囲に人が住みついたと考えられます。浜宮は現在、男神社の摂社となっています。

岡中鎮守社の槙

昔、この地には高城の宮と呼ばれる小社があり大木に覆われていたという。しかし明治の終わりごろ信達神社に合祀され、その後、樟の木とマキを残して伐採されてしまった。槙は一般に成長が遅く、これだけ大きな槙は府下では珍しい。平成2年に隣にそびえる樟(くす)の木についで、府の天然記念物に指定された。

堀河ダム

周囲を山で囲まれ、美しい景観を残しているこのダムは、大阪みどりの百選にも選ばれており、夏は新緑、秋は紅葉を見ることができ、春には周囲に植えられた約500本の桜が、訪れるハイカーの目を楽しませてくれる。

東大阪市立郷土博物館

営業:9:30〜16:30 定休日:月曜日(祝日のときは翌日)、祝日の翌日(土日祝は開館)、年末年始(12月29日〜1月6日)、展示準備のため休館する場合あり

生駒山麓には230基の古墳があるとされているが、その中の山畑古墳群の中に位置するこの博物館は、「かわちのくに」とよばれていた東大阪界隈の人々の暮らしを、約2万年前から昭和にかけて時代順に紹介している。小展示室では、旧石器時代から弥生時代に使われていたとされる土器や石器など、大展示室では、古墳時代の埴輪や装飾品などが展示され、さらに特産品だった河内木綿に関する道具から、市民の協力で集められた生活の道具などまで、数万点にのぼる所蔵品の中から多彩な民俗資料が紹介されている。敷地内には、直径15mの円墳・山畑22号古墳の横穴式石室があり、見学できる。

弥刀神社

ここ弥刀神社は、平安時代927年(延長5年)に出された「延喜式」の神名帳(じんみょうちょう)に、河内国若江郡22座の中に記載されていて、室町時代からは市場の神としても崇敬され繁栄してきた神社だ。江戸時代にはこの辺りの集落が発展するに伴い、土地の神として村人の崇敬を集め、長瀬川右岸堤防に続く広大な神社用地を有していた。延喜式内の古社であるここの神殿は、1874年(明治7年)に新たに造営された。境内には合祀された摂社(せっしゃ)・八坂神社、末社(まっしゃ)・常世(とこよ)神社もみられる。

旅行情報