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興法寺

営業:8:00〜16:30

舒明天皇の頃(629〜641)に役行者が開基。行基・空海も修行したと伝えられる古刹で、本尊の十一面千手観音像は行基の作という。門前の案内板には「木造の立像で、左右に仏面が掘出されているのが特色の藤原時代初期の像」とあり、大阪府の文化財に指定されている。南北朝時代、南朝方の城塞となり、貞和〜観応年間(1345〜52)には一山焼失、その後、再建されたものの応仁の乱で再び焼失した。永禄年間(1558〜70)に修復され、大正5年(1916)にも諸堂宇の大修理が行われている。境内は春の枝垂れ桜、秋の紅葉が美しい。本堂近くの高さ約8メートルの桜は神武天皇が東征のおり、にわか雨を避けて雨宿りをしたという伝えられることから「時雨桜」とも呼ばれている。

布施戎神社

1954年(昭和29年)、西宮神社から戎大神((えびすだいじん)の御霊代(みたましろ)を勧請申し上げ、布施戎神社の祭祀がはじまった。周辺地域が商業地として発展するに伴い、さらに1988年(昭和63年)には、大阪の今宮戎神社から事代主命(ことしろぬしのみこと)を勧請申し上げ、以来厳粛な祭祀を執行し、広大な御神徳を仰いでいる。

往生院六萬寺

営業:6:00〜17:00入山は16:30まで 休業:無休

日本書紀によれば、崇峻天皇3年(590)、百済に留学した善信尼ら一行が帰国後、桜井寺に入山。その後、天平17年(745)、行基が荒廃した桜井寺の跡へ六萬寺を再建し、薬師如来を本尊としたと伝えられる。往時は50を数える坊があったといわれるが、時代と共に盛衰を繰り返し、今から1000年余り前、安助上人が荒廃していた六萬寺を再建、往生院として開いたという。正平3年(1348)、四條縄手の戦いで、楠木正成の子の正行(まさつら)が往生院に本陣を構えたが、北朝方に敗北し、往生院も焼け落ちた。現在の伽藍の大半は明治以降に復興されたもので、楠木正行の墓や楠木正成の供養塔をはじめ、墓苑、鐘楼堂、歴史館、民具館などが建つ。

若江鏡神社

若江鏡神社は総面積二千坪の境内を有し、創立年代は不詳であるが、文徳実録等の古書に854年(斎衡元年)「授河内之国大雷火明之神従五位下」と記されていることから見て、相当な古社であるといえる。その昔、近郷一帯の農作物が殆ど枯死寸前に至ったとき、神前で大般若経(東大阪市重要文化財)を唱読し祈願したところ、14日目に神社裏の淵より清水が湧き出し危機を救ったと言われている。「智力」・「健康」・「安産」の御利益があるといわれ、遠くからの参拝客も多い。

大龍寺

1686年(貞亨3年)、この地域では干ばつが続き食糧難にみまわれた。苦しむ民の姿を見かねた僧侶が雨乞いを行った結果、にわかに空が暗くなり大雨が降ったそうだ。そのとき天に大きな龍が現れたという伝説があり、その龍を祀るため、このお寺が築かれたと言われ、それがこのお寺の名の由来になっている。

山畑古墳群

この古墳群は瓢箪山(ひょうたんやま)駅の東側の山麓(さんろく)部にある、東大阪市立郷土博物館周辺に分布している。今でも20基ほどが残されているそうだが、これまでに行われた開墾(かいこん)や宅地開発によって取り除かれた古墳も含めると、実際には100基以上の集まる古墳群だったとされている。古墳群は6世紀の後半から7世紀はじめにかけて造られ、ほとんどは横穴式石室を持った円墳だが、中には瓢箪形(ひょうたんがた)をした双円墳や方墳も見ることができる。

二本松古墳

6世紀後半から7世紀の初めにあたる古墳時代後期には、有力豪族達により群集して造られた。この古墳もそのうちの一つで、横穴式石室を内部主体としており、花崗岩や閃緑岩などの巨大な石を積み上げて造られたものである。現在、古墳は保存され、大きな石室を見学することができる。

仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)

仲哀天皇陵は、墳丘長242メートル、周濠幅約50メートルの大型前方後円墳。古市古墳群では4番目の大きさである。別名「岡ミサンザイ古墳」とも呼ばれ、羽曳野丘陵の北東部外縁に位置している。横穴式石室を採用している可能性があること、また出土した円筒埴輪などから、5世紀後半の築造と考えられている。冬にはマガモ、オナガガモ、トモエガマ、ハシビロ、カイツブリなどの渡り鳥が多く飛来し、バードウォッチングに人気がある。市民の憩いの場としても親しまれている古墳だ。

国府遺跡

石川と大和川の合流地点の西側、羽曳野丘陵の北端に位置する遺跡。旧石器時代から中世に至る集落遺跡の一部が公園として整備されている。大正6年(1917)、京都帝国大学(当時)の浜田耕作教授による発掘調査で、縄文・弥生式土器のほか、縄文時代の人骨3体が確認。人骨は手足を折り曲げて埋葬されていたことから、世界的にも珍しい例として新聞に報道され、一躍、注目された。以来、30数次の発掘調査が行われ、縄文・弥生時代の人骨計90体のほか、讃岐石(サヌカイト)を使った旧石器も発掘。飛鳥時代に創建された衣縫廃寺の発見でも知られている。遺跡の重要部は国指定史跡。国府の名は奈良・平安時代に河内国府があったことに由来する。「写真:藤井寺市教育委員会撮影」

大阪ガスガス科学館

営業:9:30〜16:30※完全予約制/時間など要確認 定休日:第1・3土曜日、祝日、年末年始、設備点検日

1982年、大阪ガス泉北製造所内に開館したガス科学館は、環境にやさしい天然ガスとその利用技術の紹介を通して、地球環境の保全と安全なエネルギーの有効利用について学べる施設。校外学習から、団体(大人/子ども)、ファミリー向けのコースまであり(すべて要予約)、基本的には、1.映像や演劇を用いて化石燃料の移り変わりや、天然ガスと都市ガスのこと、省エネルギーやリサイクルの大切さなどを理解してもらうゾーン2.液化窒素を使った楽しい冷熱実験や、炎色反応、輻射伝熱、パスカルの原理など科学の不思議さを、参加型展示物で体感できるゾーン3.工場見学、という3つのゾーンからなる。総面積73万平方メートルという広大な製造所をバスでまわる工場見学では、車中、都市ガスが供給されるまでの過程とLNGタンクの安全対策についての説明などが行われる。

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