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子嶋寺

拝観:9:00〜17:00

天平勝宝年間(760年)、僧報恩(ホウオン)大徳のひらいた古刹。寺宝に子島曼荼羅の名で知られる「紺綾地金銀泥絵両界曼荼羅図」があり、日本三大曼荼羅の1つとして、国宝の指定を受けています。山門は、高取城二の門を移築したもので、高取城の現存する唯一の遺構となっています。

壷阪寺(南法華寺)

拝観:8:00〜17:00

『壷坂霊験記』の舞台として知られる「壷阪寺」、ここは西国三十三ヶ所の6番札所にあたり、全国各地から多くの参拝者が訪れています。奈良時代の創建と伝えられる町内屈指の古刹で、清少納言も『枕草子』の中で「寺は壷坂、笠置、法輪」と、1番に名をあげ、賞賛しているほどです。三重塔と礼堂は、国の重要文化財に指定されています。西国6番の札所。お里、沢市の「壺坂霊験記」の舞台としても有名です。

猿石

二ノ門外、城下町に下る大手筋と岡口門の分岐点にあり。制作は、飛鳥時代の斉明朝あたりと推定される。高取城築城の際、石垣に転用するために明日香村から運ばれたと言われている。明日香村檜隈(ひのくま)の吉備姫王(きびのひめみこ)の墓の域内にある石仏像と同類のものである。郭内と城内の境目を示す「結界石」とした説もある。

市尾宮塚古墳

明治時代に偶然後円部の石室が見つかり、昭和56年に国の史跡に指定された。6世紀中ころに築造されたと考えられ、大型の石室と出土品は、この時期の古墳ではトップクラスの内容であり、有力豪族の墓と考えられる。全長44m、後円部の径23m、高さ7m、前方部は幅24m、高さ4.5mの前方後円墳です。

乾城(カンジョ)古墳

貝吹山の南麓にある直径30mの円墳。左壁は5段、右壁は4段に積み上げ、天上石は1枚の巨石を用いている立派な古墳である。6世紀後半に築造された、天井の高さが県内一という横穴式石室を埋葬施設としています。

束明神古墳

真弓岡丘陵の東南部,春日神社境内にあります。丘陵を大きくカットし、直径70mの範囲を半円状に造成し、中央部に墳丘を造った終末期古墳です。凝灰岩の切石を積み上げた精巧な横口式石槨は、ほかには類例がない貴重なものです。築造は、7世紀後半から末頃と推定され、草壁の皇子(天武天皇、持統天皇の皇子)の墓ではないかと言われています。

高取城跡

南北朝時代,吉野方に味方した越智氏の支城の一つであったが,戦国時代に入ると,大和郡山城を居城とする筒井順慶が,郡山城の詰の城として本格的城郭に改めた。さらに豊臣秀長が郡山城主となると,新しい縄張によって築城したと伝えられる。元和元年(1615)の「一国一城令」によって多くの城が破却されたが,重要な山城が例外的に破却をまぬがれた。高取城もその一つ。現在石塁が残るだけ。◎筒井順慶(1549-84)筒井生れ。興福寺の官符衆徒(僧兵の隊長格)順昭の子。松永久秀失脚のあと信長から大和を与えられ郡山城主となる。洞ケ峠の日和見武士の汚名は有名。

市尾墓山古墳

6世紀初めに築造されたと考えられ、最古・最大級の家形石棺が納められている。全長66m、後円部の横穴式石室から、巨大な凝灰石をくりぬいた家形石棺(長さ2.6m、高さ1.4m、幅1.2m)が見つかった。古墳が竪穴式石室から横穴式石室に変わる過渡期に生まれた貴重な大型石棺で、被葬者は豪族の巨勢氏(こせし)とみられている。

与楽鑵子塚古墳

直径24m,高さ7mの円墳。6世紀後半に築造されたといわれている。天井の高い横穴式石室を埋葬施設としています。

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