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太皷谷稲成神社に寄進されたもので、国道9号沿いに町を見下ろして建っています。朱色のコンクリート製で、高さ18m、柱の直径2mの巨大なものです。
森家は藩医で50石取りの家柄でした。鴎外は10歳までこの家で過ごし、上京しました。この旧宅は、作品にも登場しており、鴎外の勉強部屋や、藩医だった森家の調剤室を見学することができます。
旧藩主亀井氏の邸宅跡。建物のあった部分は高校に、庭園部分が嘉楽園として公開されています。
哲学者西周の育った家。母屋の右側にある土蔵の小さな部屋で、寸暇を惜しんで勉強し、後に日本で初めてできた東京高等師範学校の初代校長に就任、更には福沢諭吉らとともに、西洋の学問、文化思想、特に西洋哲学を日本に最初に紹介した人で、明治文化の先駆者として活躍しました。旧居は、武家屋敷の旧態をよく残しています。
殿町の東側津和野川に沿った一角で、旧藩時代藩士の子弟の教育をしたところです。儒学、国学、医学、数学(和算)、礼学、兵学、武道等多彩な教科をもち、文豪森鴎外や先哲西周をはじめ多くの俊才を生んでいます。現在は、建物の一部を民俗資料館として活用されています。
元和3年(1617)亀井政矩が4万6000石で津和野に入封、以後250年間亀井家がこの地を治め明治維新を迎えました。藩政を支えたのが親戚筋の家老多胡真清の他三兄弟で、以後も多胡家は代々藩主を助け、城下町の整備と産業の育成に辣腕を振るいます。今も町内に残る段々畑は多胡主水の名をとって「主水畑」と呼ばれています。
石見地方を中心に島根県内に広く分布する赤瓦は、来待石を使用した釉薬などにより特有の赤褐色をしています。石州赤瓦の家並みは、出雲平野の築地松とともに県を代表する景観となっています。
この通りは「萩・津和野線、本町・祇園丁工区」の道路整備に伴い、風情ある石畳となりました。もとより商家が多く、10月の体育の日には「ゑびす講」も開催されます。また、この通りは江戸時代より道幅が変わっていないのも特徴の一つです。
古い歴史をもつ城下町・津和野。その中でも殿町通りなどは最も古いたたずまいを残しています。津和野カトリック教会、藩校養老館跡、郡役所跡など史跡が集中しており、郷土料理の店や土産店なども多いエリアです。また、土塀に面した通りの掘割には大小様々の鯉がこの付近だけで400匹余りが泳いでおり、訪れる人の目を楽しませてくれます。夜にはライトアップが施れ、夜の景観も美しい。5月下旬〜6月中旬には約3,000本もの花菖蒲を観賞できます。
永太院は津和野城主の墓もある由緒あるお寺です。そのお寺の境内には桜がとてもきれいに咲き乱れ、隠れた観光スポットになっています。