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5世紀前葉に築造されたとされる墳長約94mの西三河最大の前方後円墳。古墳周辺は公園として整備されており、保存状態の良好な墳丘を観察することができ、古墳からは三河湾の島々や遠く志摩半島の山並みを望むことができる。
公開:終日 休業:無休
岩場古墳は、勝楽寺(小山田地蔵)東側の尾根先端に位置する墳長約30m程度の帆立貝形前方後円墳。墳頂部から全国でも出土例が25例ほどしかない円筒棺(県指定史跡、吉良町歴史民俗資料館展示)が発見されている。
文治2年(1186年)、源頼朝の命を受けた初代三河国守護安達藤九郎盛長の建立と伝えられ、方三間の堂の正面に一間通りの開放庇をつけ、左側面にも小室に付属した平面をもつ。平安時代に盛行した仏堂を住宅風な手法で造る法の系統を受けている。
公開:9:00〜17:00 休業:無休
徳川3代将軍家光が寛永13年(1636)に岡崎市伊賀八幡宮に造営したものを明治4年(1871)に当寺に移築。県指定文化財。
公開:9:00〜17:00 休業:月曜日・年末年始(12月29日〜1月3日)
江戸時代に三河木綿の江戸送り総問屋等として栄えた糟谷縫右衛門家の屋敷で、現在約4,500平方メートルの敷地内に主屋(店部・座敷部・数奇屋部)、長屋門、土蔵、屋敷神等、総計約750平方メートルの建物が残る。県指定文化財。
忠臣蔵の吉良上野介義央が名君であったとして領民に慕われていたことを物語る偉業のひとつとしてこの築堤工事がある。義央は貞享3年(1686)瀬戸の山と岡山の山間に、長さ約180m、高さ約4mの堤防を一夜で築いたといわれる。その後、水害はなくなり良田となったことから、人々はこれを「黄金堤」と呼んで遺徳をたたえた。
往古は周辺にシイ、スギが生い茂り、このシイが西端にあたることから覚樹山西林寺と称したといわれる。根回り5.7m、樹高10m、樹齢推定700年。また西林寺には南極探険隊長白瀬中尉の墓がある。
県内でも特に大きなナギとされる。幹は垂直に伸び、下部の枝は取り除かれている。目通り2.0m、根回り2.5m、樹高15m。忠臣蔵で有名な清水一学の墓が同じ円融寺境内にある。
休業:月
一色漁港のすぐ北に位置する直販施設「さかな村」は、西三河漁業協同組合の漁船から水揚げ・セリに賭けられた魚介類をその場で安く直売しています。
営業:9:00〜17:00 休業:水
一色港で水揚される鮮度の高い魚介類を販売している人気の海鮮マーケットです。また一色町のグルメ食材が大集合していますので、地元のみならず観光客にも人気のスポットになっています。