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中の城古墳

人物埴輪を出土した。前方後円墳。

姫の城古墳

前方後円墳。原形をとどめ県の史跡に指定されている。

端の城古墳

公園化された前方後円墳。県史跡。

岩永三五郎の墓

鹿児島、甲突川の五大石橋をはじめ、熊本・鹿児島に眼鏡橋を架け「肥後の名石工」といわれた岩永三五郎(1793-1851)の墓・石像。

赤星公園

開園:日月水木金土9:00〜17:00水竹居の館のみ 開園:日月水木金土9:00〜22:00貸出/水竹居の館のみ 休園:火水竹居の館のみ年末年始 休園:その他の施設無休<br/

赤星公園は鏡町のほぼ中央に位置し、公園内にある「六角堂」は地域住民の心の拠り所として広く親しまれています。また、その建立者である「赤星睦治」が少年期を過ごした住宅も「水竹居の館」として甦り、地域住民の学習の場、交流の場となっています。

鏡が池

古い日本語によるとカガとは芝原(荒地)、ミは水または泉のことで、鏡町の地名の由来といわれている。当時の池は、周囲が一里半(6km)もあったといわれ、現在は鏡が池公園として整備されている。その昔、蘇我石川宿袮が当地を訪れた際、若者達が鏡が池に裸で氷を割って飛び込みフナを手取りにしてさし出したという故事にならい4月7日フナ取り神事が行われている。

大鞘樋門群

文政2年(1819)9月に完成した四百町新地開における干拓樋門。当初は五つの樋門があったが、現在は「殻樋」「二番樋」「江中樋」の三つのみ残る。大鞘樋門の名称は、樋門の周りを囲む鞘石(石垣)が非常に堅固だったことから名付けられたと伝えられており、その周辺もまた大鞘と呼ばれるようになった。現存する県内最古の樋門で熊本県指定史跡。新地干拓の潟担い労働唄として「名所名所と大鞘が名所、大鞘名所にゃ水がない」という唄がうたわれ出し、郷土民謡大鞘名所(大鞘節とも)が生まれた。

鑑内橋

この橋は、文政13年(1830年)頃、種山の名石工、岩永三五郎が造ったと言われており、現在鏡町に残る唯一のめがね橋。橋の長さは、7.2m・幅2.8m・径間5.5m。鏡(鑑)町と内田村を結ぶところから鑑内鏡と呼ばれ、江戸時代には八代〜松橋間を結ぶ下往還の要所であった。明治10年の西南の役に日奈久南の洲口に上陸して北上する官軍の斥候と、熊本城攻めの薩軍から派遣され南下する斥候とが初めて出会った所で、その情報によって薩軍は氷川の線に陣地を構え、両軍が戦いを交えたというエピソードが残っている。石橋の老朽化に伴い、平成6年(1994年)3月に修復された。

さかもと八竜天文台

公開:13:00〜22:00 休業:火(祝祭日は営業)

コンピューター制御による世界最大級のEDレンズ天体望遠鏡で、星の世界を案内してくれます。職員が星の解説や星座物語の紹介を行ってくれるほか、季節の星の観察会などのイベントも、毎月開催されています。昼間は、3階の展望テラスから八代平野や八代海、島原半島を一望できます。研修室には大型スクリーンを設置してあります。

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