全日本の観光地へ
種田山頭火との深い交流でも知られる自由律層雲派の俳人木村緑平の「雀生れてゐる花の下をはく」「草の花ほんに月がよか」の2句が表裏にそれぞれ刻まれている。
多くの文化人を輩出している柳川にあって、「リツ子・その愛」「リツ子・その死」「火宅の人」などの著作で知られる直木賞作家檀一雄は、柳川市沖端出身。文学碑は、川下りコース沿いにあり、1987年建立。碑には有明潟睦五郎の歌が刻まれている。毎年2月頃に檀一雄供養祭が、9月23日には檀一雄文学顕彰祭が行われている。
公開:9:00〜18:00 休業:無休
立花氏が奥州松島を模して築造したもので、なかに老松約280本が植えられている。池に毎年10月より4月まで約500羽の野鴨が飛来する。
開園:9:00〜17:00 休園:火 休園:年始年末
寛政年間に築造されたと伝えられる。庭園内に建てられ、後に藩公の茶室とされていた旧戸島家住宅(県有形文化財)には、掘割の水を引き入れて造られた築山山水の古風な庭園(国名勝)がある。池の周りの梅や松の古樹、苔むした庭石は枯淡で風雅な趣き。
公開:9:00〜17:00 休業:無休
関ヶ原の合戦後に、筑後国30万石の領主として柳川に入った田中吉政の墓石が本堂床下にある。本堂全体が田中吉政公の墓ともいわれる。
公開:9:00〜17:00
柳川藩11万9,000石立花氏の菩提寺。
永禄年間(1588-69)に蒲池鑑盛が有明海に注ぐ矢部川流域の低地に築いた城。子の鑑並が龍造寺隆信に謀殺され、龍造寺氏の支城となった。豊臣秀吉の九州平定後は立花統虎・田中吉政らが入り、江戸時代は再び立花氏の居城。現在の柳城中学校の校庭に石垣の一部が残っている。◎立花宗茂(1598-1642)筑前生れ。秀吉征西の時先鋒となり功あり、筑後3郡十三万石。柳川の藩祖。征韓の役に明軍を碧蹄館に撃破。尊王の志深く、勤王志士の後裔を優遇した。◎田中吉政(1548-1609)高島郡田中村生れ。信長、秀吉に仕え岡崎城十万石の城主。関ケ原役で敗走する石田三成を捕えた功で筑後三十二万石。兵部大輔。嗣子忠政の死後絶家。
松涛園とともに4代藩主立花鑑虎が建てた別荘。新館は明治後期の建築。現在は資料館になっている。
公開:9:00〜17:00 休業:火火曜日が祝日の場合はその次の日 休業:年始年末
文政11年(1828)建築。寛政年間に建てられたともいう。はじめ柳川藩中老職であった吉田兼儔の隠宅として建てられ、後に藩主の茶室として使用された。県有形文化財。庭園は国指定名勝。柳川藩の武家屋敷の典型例。
有明海は島原半島の国見町と、熊本県長洲町を結んだ線の北側に広がる。干満の差6メートルは日本最大。全海面の約5分の1に達する30万ヘクタールの干潟が福岡、佐賀県沿岸から続き、夕日に照り映える光景が美しい。干潟は野鳥の宝庫。シギ、チドリ、カモ、サギなど、ざっと150種。干潟でゴカイ、カニ、小魚をついばみ、干拓地の湿地帯で羽を休める。