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閼伽流山明泉寺

明泉寺参道が登り口となり、山腹には千手観音を祀った観音堂、岩下には百体観音石仏の他幾多の文学碑もあります。

西念寺

京都智恩院の末寺。岩村田藩内藤氏の菩提寺で五輪塔もある。本尊の阿弥陀如来坐像は県宝に指定されています。

鼻顔稲荷神社

日本5大稲荷の1つとして県内外の人に信仰されています。2月11日の初午祭にはダルマ市等露店が並び参拝者で賑わいます。清水寺に似た断崖造りの社殿が目をひきます。近年は学業の神様として、地元高校生が参拝に訪れています。

金台寺

鎌倉時代の創建で、一遍上人が開山したと伝えられています。「一遍聖絵」と呼ばれる、「一遍上人絵伝」の第二1巻が保存されています。また、佐久の武士、大井太郎が一遍に帰依しその邸を寺に下したとも伝えられています。5世安国(1279年〜1337年)が元弘の合戦で陣僧となり、北条方の侍に念仏十念を授けたとする、一遍の自筆書状も残っています。

貞祥寺

前山城主伴野貞祥が大永元年(1521年に)開基した曹洞宗の古刹。禅道場として海外でも有名です。境内にある「三重塔・惣門・山門」は県宝に指定。特に、三重塔は小海町神光寺(廃寺)から移築されたものである。島崎藤村旧宅も保存されており、こちらの見学には予約が必要(佐久市文化財課0267-68-7321)。曹洞宗地方寺院の伽藍配置を典型的に示す、七堂伽藍を整えた寺院。また、回天慰霊碑と1/3回天模型が展示されています。

龍雲寺

岩村田宿には本陣がなく、龍雲寺がその役割を担っていた。総門、三門の棟には戦国武将武田信玄の、武田家の家紋「武田菱」があるが、これは永禄3年(1560年)に戦火で荒れたものを、武田信玄が再建したことによる。再興以前は別の宗派だったが、現在は武田信玄の宗派である荘藤秀になっている。現在も武田信玄ゆかりの遺品などが収められている。

望月城跡

全長1500mもある大規模な城跡で、北に主郭、南に副郭が位置し、曲輪や空堀など遺構が明瞭に残されています。望月城は滋野一族望月氏が城主をつとめ、保元の乱(1156年)で活躍し、鎌倉時代には幕府で重要な位置にいました。戦国時代に武田氏の支配下にはいり、天正10年(1852年)に徳川家康の家臣、依田信蕃によって落城しています。

龍岡城五稜郭

五稜郭建築の城跡は、日本国内に函館と佐久市にしかありません。慶応3年(1867年)築城で、その形から「桔梗城」とも呼ばれています。大手門前には「佐久市歴史の里五稜郭であいの館」(入場無料)があり、資料の展示を行っています。また、予約すれば当時のまま残る御台所櫓の見学も可能です。

藤村旧宅

営業:4月〜11月10:00〜16:00

島崎藤村が小諸時代(明治32年〜6年間)を過ごした家が、貞祥寺境内に保存されています。大正9年、前山の本間氏が自敷地内に移築し、暫く使用したが、島崎藤村生誕100年の昭和47年に佐久市へと寄贈され、昭和49年に現在の位置へと移されました。開館時間内は室内の見学が可能です。島崎藤村はこの家で「破戒」の執筆を開始しました。北原北胤監督作品「一遍上人」(主演:ウド鈴木)のロケ地でもあります。

伴野城跡

伴野氏の居館跡。周囲にめぐらせた堀や土塁の一部が今も残っています。鎌倉時代の初期、甲斐源氏の賀美遠光と園子小笠原長清は信濃守を任ぜられ、伴野・大井両荘園を支配しました。長清は6男時長に伴野荘を与え、その時長が館を構えたのが始まりとみられています。現在は史跡公園として整備され、敷地内の大伴神社などが江戸時代の面影を伝えています。

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