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昔の加古の松原で、市の木「黒松」が群生する公園です。15.9haの広い公園内にはグラウンド、手軽にジョギングが楽しめるトリムランニングコース、バレーボールコート、ローンボールスコート、市民プール、自由広場があり、市民にとって大切なレクリエーションの場となっています。
昭和48年に造られた、市役所前に広がる純日本式庭園です。庭の中央線の頂上に十三重塔、そばに滝、下に池があり、花しょうぶ・つつじ・黒松などの草木が、庭の景観をいっそう引き立てています。手入れの行き届いたきれいな庭園は、心くつろぐ憩いの場として広く市民に親しまれています。
国指定史跡の西条古墳は前方後円墳の行者塚古墳、円墳の尼塚古墳、ホタテ貝式古墳の人墳古墳と3基の古墳で構成されています。人塚古墳に隣接する西条廃寺は、奈良時代前期の壮大なもので、法隆寺式伽藍配置の市内最古の寺院跡です。出土遺物の九輪・風鐸は復元されて加古川総合文化センターで展示されています。古代ロマンを感じる空間です。
西神吉町中西にある古代寺院の跡で、出土する古瓦から白鳳時代のものだといわれています。遺構として巨大な塔の心礎が残されています。弘法大師が杖でついたところ、突然きれいな水が湧いてきたといわれる「石井の清水」がすぐ近くにあり、この井戸枠に中西廃寺の石造りの露盤と刹(さつ)が使われています。
住吉神社の境内にあります。松が横に傾き、腕枕をしているように見えることから別府出身の俳人滝瓢水(たきひょうすい)が「手枕の松」と名付けました。初代の松は大正末期に枯れ、現在の松は3代目です。播州松巡りの東端にあたり、西に向かって浜宮天神社「菅公のお手植の松」、尾上神社「尾上の松」、そして高砂市の「高砂の松」、「曽根の松」まで名松が続いています。
真宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。慶長元年(1596年)本多西賢の創始といわれています。境内には俳人松岡青蘿の墓・顕彰碑があります。三代龍心の妻は赤穂義士、原惣右衛門の妹であることから、惣右衛門ゆかりの書状や枕屏風(源平屋島合戦)、大石良雄の桜石が残っています。
真言宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。寺の付近一帯は加古川城跡です。天正5年(1577)太閤秀吉が糟屋の館へ立ち寄った折、当時の城主加須屋助右衛門は秀吉について小姓頭となり、賎ヶ嶽七本槍(しずがたけしちほんやり)の一人として武名をあげました。境内には地人が憐れんで建てた南北朝時代の7人の武者の七騎供養塔があります。山門を入るといちょうの大木があり、昔から加古川の町の目印でした。
神代に伊勢神宮の御神体の一つである御鏡がここに泊まり着いたことから泊神社が起こったといわれています。祭神は、天照大神・少彦名神(すくなひこなのかみ)・国懸大神(くにかかすのおおかみ)です。現在の社殿は、承応2年(1653)宮本武蔵の養子、宮本伊織が改築した時のものといわれています。一歩足を踏み入れると境内は広く、南北朝時代の石弾城(いしはじきじょう)の石垣と思われるものや宮本伊織寄贈の花崗岩製の灯篭、市指定文化財の36歌仙図絵馬が残っています。
昔の加古の松原で、市の木「黒松」が群生する公園です。15.9haの広い公園内にはグラウンド、手軽にジョギングが楽しめるトリムランニングコース、バレーボールコ-ト、ローンボールスコート、市民プール、自由広場があり、市民にとって大切なレクリエーションの場となっています。公園の西北端には、菅原迫真公を祀る浜宮天神社があります。朱塗りの新しい社殿が美しく、また境内には菅公お手植の加古の浜松(2代目、樹齢約500年)があります。
旧西国街道にある神社の主神は日吉大神(ひえのおおかみ)で、比叡山延暦寺の守護神日吉大社から分霊をお迎えし、のちに四柱の神を合わせ祀ったという説もあります。神社の西にある教信寺は延暦寺の末寺であることから深いつながりがあります。