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天文9年2月18日に武田晴信(信玄)が、信濃の村上義清の軍勢と夜合戦し、勝利を得た場所だといわれているところ。
現在は、その当時使用したと伝えられる井戸が残っている。
戦国時代の武将の居館跡の原形を残している。戦国時代、武田信玄・勝頼に仕えていた長坂釣閑斎(ちょうかんさい)の館であったと言われています。しかし、釣閑斎の人物像は謎に包まれています。最期は勝頼を追って自害しており、側近として近従していたことは確かなようです。
棒道に備えた番所で,天文年間に設置されたもの。
今から約840年ほど前、谷戸城の出城として築城されたもの。北、東、南の三方を掘り切って台地から切り放し、西側は西衣川を堀として利用していて、堀の内側には高さ1〜2メートルの土塁が巡っています。大きさは東西約50メートル・南北約130メートルで、現在は南北二つの郭ですが、かつては南郭をさらに分ける土塁がありました。この館跡は谷戸城に対する居館とも逸見清光の嫡男光長の居館とも伝えられています。
日蓮聖人が立ち寄って清水をくんだ。その家の家主が歓待したときに石の上で三昼夜の説法をしたといわれている。
三間社流れ造りで正面の向拝は一間となっている。(0551)32-3972。
清春芸術村に咲く約30本のソメイヨシノの桜群です。清春芸術村は廃校になった清春小学校の跡地にあり、大正14年3月、同校の校舎落成を記念して児童たちによって植樹されました。昭和41年5月、県の天然記念物に指定されました。
樹齢約700年余で幹の周囲5.2メートルの巨木。縁結びのケヤキとして崇敬された。