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間口12間半、奥行6間半の建物で高山の大工副棟梁与四郎によって建てられた。建物の特徴は、客間である「でい」が「口のでい」「中のでい」「奥のでい」と3室に分かれていること。また、裏側には本堂へ通じる廊下があり、南側と表側の一部が庭に面して回廊になっている。この庫裡の階上には、郷土の民具などの貴重な資料を展示し、民族館として公開している。
後鳥羽天皇の第12皇子嘉念坊が白川郷で布教した道場の跡。隣地に道場の建物が復元されている。昭和53年6月15日村指定史跡。
寛正6年(1465)に内ケ島為氏が築いたという。三代氏理は天正13年(1585)の金森長近の飛騨攻めに降ったが、同年11月29日に起こった大地震で帰雲城は山津波に呑まれ、一瞬にして消滅してしまったという。城内には内ケ島氏が貯蔵していた飛騨金山の黄金があったが、それが今も埋もれているという埋蔵金伝説がある。
荻町を見下ろす山上にあり、石組みが残っている。帰雲城の出城として築城。
全国でも珍しい茅葺寺院本堂は総ヒノキ造りで本堂・鐘楼門・庫裡の配置が美しい。寄棟造、2階建で屋根は茅葺き、1階に板庇をつけた珍しい建物である。加藤定七により、延べ人数1425人を要して建てたと伝えられる。2階に釣り下げてある梵鐘は第2次大戦中に供出され、戦後、鋳金工芸作家の中村義一(高岡市)の作である。音調は黄鐘調であるといわれる。
荻町合掌集落の代表的家屋といえる。平成7年12月26日国の重要文化財指定。
4階建・平入の大合掌造で、数十名の大家族住宅であった。内部に民俗資料展示。昭和46年12月28日国の重要文化財指定。
合掌造りの建物が最も多く残る地域で、大小あわせて現在100棟余りある。合掌集落の規模としては全国で最大で、国の伝統的建造物群保存地区に選定されている。平成7年12月世界遺産に登録された。今も実生活の場として使われているところに価値があり、それが他地域の合掌民家集落と違うところである。白山山麓の自然を背景とした集落の景観は、俗界と切り離された仙境のよう。
花弁90枚以上、めしべ15〜20本と全国的にも珍しい大型八重桜で、発見者の大田洋愛画伯の名をとり命名した。
神秘的な大窪池湖面に巨大な花を咲かせる。