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杉山検校は、本名を杉山和一という江戸時代の鍼師です。五代将軍の綱吉の病気を治して関東総検校の地位を獲得しましたが、その時に使った「管鍼術」は江の島弁財天から授かったと伝えらえています。お礼に三重の塔を建てるなど、弁財天とは縁の深い人物です。
本来はこの場所に不老門がありましたが、今はなく、文久元年(1861年)の再建記念碑だけが残っています。
【福石】ここで石につまづき転んだ盲目の杉山和一は、その時、偶然拾った竹筒に松葉が入っていたことから管鍼術を考案して、後に関東総検校にまで出世しました。以後、ここで物を拾うと幸運を授かると言い伝えられています。【江の島弁財天道標】石柱は和一が建てた江の島弁財天道標です。
怨親平等碑ともいう。1416〜17年の「禅秀の乱」で戦死した人畜を供養するため建てられた。(1418)
江島神社の境内社。腰越の小動神社に祀られていた社が大波で壊され、御窟の前の海中に沈んでいた御神体を漁師が拾い、ここへ祀ったという。7月中旬には江の島天王祭が行われ、神輿の海上渡御が行われた後、神輿は小動神社へと練る。この祭りは、「かながわの祭り50選」にも選ばれている。
江の島島内、奥津宮に向かう道の左手に建つ庚申塔は、市重要文化財に指定されている珍しい石塔です。四面に掘り出された猿は全部で36匹。塔の下部には数匹の蛇が巻きついています。
木食とは、米・麦・アワ・キビ・豆の五穀を絶って、木の実を食べ修行すること。木喰上人は、江の島・山ふたつの谷底にある洞穴で修業したそうです。石柱と案内板は、江島神社奥津宮へ向かう途中(御岩屋道通り)にあります。
飲料水に窮する島民を助けるために、一遍上人が堀当てた井戸と伝えられ、今も水をたたえています。(現在は周辺が民有地になっているため見学は出来ません。)(江の島大師近く)