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「貝がらも桜の名のあり島の春」ここは、漁村が経営していた江の島館跡地の一隅に建つ句碑です。(江の島大師近く)
もともと江の島の海に浮かぶ聖天島という島だったが、東京オリンピックで湘南港が作られた際に海が埋め立てられて陸続きになった。現在も岩肌の上部が残っており、当時の島の様子がうかがえる。その昔、八坂神社の江の島天王祭の際に禊が行われる神聖な場所でもあったため、公園内には社があり、鎌倉時代の僧・良真上人の像が安置されている。
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三代将軍源実朝の死後、北条氏は京都から藤原頼経を将軍に迎え、政子の死を機に、1225(嘉禄元)年に大蔵からこの場所に幕府を移しました。現在は、宇津宮稲荷の鳥居脇に石碑がたっています。
極楽寺支院西方寺跡にある。安山岩製七層塔1基・凝灰岩製五層塔1基・五輪塔3基・安山岩製五輪塔数基がある。七層塔は鎌倉末期のもので塔身に四方仏を刻んだすぐれたもの。上杉憲方は1379年関東管領となり、山之内に住し、1394年病没。国史跡。
藤原定家の孫。父の死後遺領相続のことで異母兄為氏とあらそい、訴訟のため鎌倉へ下り、藤ケ谷に長く住み、その間歌壇の指導者として藤ケ谷殿とよばれた。1328年没。国史跡。
後醍醐天皇につかえ、討幕計画に加わったが、事が露見し、1332(元弘二年)に葛原岡で斬首された。