東勝寺(宗吾霊堂)
千葉県成田市宗吾1-558
宗吾霊堂は、桓武天皇の時代に征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定した際に、戦没者供養のために建立された寺院です。歌舞伎で知られる義民佐倉宗吾は、今から350数年前の承応元年(1652年)に、佐倉藩主暴政のため、凶作と重税に苦しむ農民を救うため、公津村(現在の成田市)の名主の木内惣五郎は、当時禁じられていた四代将軍徳川家綱への直訴を決行し、大勢の農民を救いました。しかし翌年8月に、その罪をとがめられて、木内惣五郎と4人の子供たちは処刑されました。その刑場跡が、現在の東勝寺のある場所といわれています。