全日本の観光地へ
レトロな造りと美しいステンドグラスが魅力的な建物。
自然環境に恵まれた湖畔のテントサイトは、広い草原。高原のフレッシュな空気を吸って、のびのびとキャンプライフをエンジョイできる。
観光地別府の玄関口です。高架下には昔ながらの商店街が続き、駅の構内にはB-Passageやマルミヤストアなど、たくさんのお店が入っています。
別府湾の沖合いにあった瓜生島と久米島が慶長年間の大地震で海に沈んでしまいました。その際、千人近くの人が亡くなったり、行方不明になったため、人々の苦悩を癒すために建立されました。毎年旧暦の7月24日のご縁日には永代施餓鬼会が行われます。ここでお参りすると延命(長生き)できると言われています。
市役所南面の一部は昭和天皇御在位50年記念公園として整備中、桜や梅など花木が多く、芝生広場など開放中。
永正4年(1507年)釈了意の開基になる。慶長16年(1611年)、京都の本山から本尊阿弥陀如来の木仏と寺号をうける。鉄道が通るまでは御旅所として、交通の要所として、賑わいを見せていた。現在の本堂は、寛政9年(1797年)府内の棟梁宗孫佐衛門や彫師、宗古久助の手になるものである。池の片隅には、寺の雰囲気にちなんだ松尾芭蕉の句碑が建てられている。
別府湾の沖合いにあった瓜生島と久米島が慶長年間の大地震で海に沈んでしまいました。その久米島にあった仏像が流れ着いて海門寺に安置されています。山門の外からは見えませんが、境内には志ぐれ松と名付けられた大きな黒松が、枝を広げています。
別府の発展と航海の安全を祈念して、明治3年に鎮座した。明治4年に開港した旧別府港の繁栄を見守ってきた小さな神社です。拝殿の正面に掲げられた木彫りの「波止場神社」という額は松方正義の書です。格天井には明治4年駐春園主人嶋石生の手になる花鳥、十二支が描かれていて、今も色鮮やかに残されています。
横穴式石室のある古墳。国指定史跡。