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御門訴事件により非業の死をとげた旧関前村・同新田名主忠左衛門(井口氏)らを慰霊すると同時に、その事蹟を後世に遺すために、明治27年(1894)に建てられました。御門訴事件とは、明治3年(1870)、社倉制度に反対した武蔵野12ヶ新田の農民達が品川県庁へ直訴した事件で、これにより前記忠左衛門ら数名の犠牲者を出しました。
観音院境内の下田家墓地にある。これは、阿弥陀仏の立像で、天和2年(1682)に、旧境村開発者の一人である下田三右衛門の追善供養のため建立されました。
市内に所在する仏像としては最古の銘[元禄2年(1689)]を持ち、近世作例としては珍しい乾漆づくりで、高さ37cm、金色の美しい像です。村人には馬を飼う者が多く、白衣観音は、馬頭観音として信仰されました。(非公開)
安永2年(1773)に鋳造された当市内で最も古い梵鐘で、龍頭の二本の角は江戸時代の特色を表現しています。なお、製作者は境村の鋳物師高橋甚右衛門で、これは当市域の鋳物師の存在を知る上で貴重な史料です。
護摩炉は密教の法具で、護摩を焚く時に用いる炉である。この護摩炉は元禄7年(1694)に鋳造されたもので、大きさ長径52cm・炉高14cm蓋高11cmで、材質は炉・蓋ともに銅製である。
関前村名主を世襲した井口家は、享保9年(1724)関前新田の開発が始まると、同地に移り住み開発に従事しました。名主役宅もその頃建てられたといわれています。屋根は改造されたが、もとは草ぶきの入母屋造りであり、書院造風の農家の形式を留めています。
寛文12年(1672)の開村のときに、旧関前村の鎮守として建てられました。正面に本殿。その左側奥にふたつの素朴な稲荷、三峯の摂社があります。例大祭は9月14・15日に行われます。
寛文4年(1664)ごろ旧西窪村の鎮守として建てられました。正面本殿の右手奥の神楽殿の中には、「稲荷神社の絵馬(市指定有形民俗文化財)」が保存されています。嘉永5年(1852)から大正末期ごろまでのもので、この間に盛んに奉納されたと思われます。
和名「ノダフジ」といい、右巻きに巻きつく性質がある。樹齢は約230年と推定される。胸高幹囲1.27m・根元周囲1.48m、根元より高さ1.6m付近より5幹に分かれている。
竹内家の前庭にあり、地上高1.55mのところで北側と南側の二股に分かれている。樹齢は約290年と推定される。現在も毎年秋には多くの甘い実がなる。