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大正13年に建てられた銀行を利用したレトロな雰囲気の建物。中では俳句を題材に彦根の歴史や自然、見所を紹介している。
藩主の執務室兼日常生活の場でもあった表御殿を復元したもの。能面、茶道具、調度品、武具など、井伊家の宝物を展示している。
琵琶湖の東端に位置する湖岸で、遠浅の浜が約1km続く。景色の美しさから「千々の松原」とも呼ばれている。
湖東に位置する、彦根市と東近江市の境にある水泳場。遠浅で水がきれい。約300mの白浜は松林があり、家族連れでにぎあう。
大老井伊直弼が17〜32歳の部屋住時代を過ごした屋敷。直弼公は藩主の子として生まれたが、5歳で母を17歳で父を失い、養子先もなく埋木舎で、わずか300俵の捨扶持の身で、過ごした。「世の中をよそにみつつも埋れ木の埋れておらん心なき身は」と詠み、埋木舎と名づけて学問と人間修養に精進した。
琵琶湖東三名水のひとつに数えられる十王村の水がある。十王村とは、水源地付近の古名。織田信長に焼失させられた御堂の名に由来する。湧水は、近くを流れる犬上川の伏流水。水源の周囲は石組みで囲われ、石堂の下から湧き出した水は、長さ1kmほどの十王川となり、犬上川に注ぐ。湧水はかつては貴重な生活用水。飲用はもちろんのこと、十王川では終戦直後まで米を磨ぐ人々の姿が見られた。今も住民の努力により、飲用できる。日本名水百選。
眺める方向により様々な島影を見せるところからこの名がついた。
彦根城の北側の内堀に面している。唐の玄宗皇帝の離宮にちなんで名付けられたと考えられる廻遊式庭園。中国の瀟湘八景あるいは近江八景を模して作庭されたと言われ、池に臨んで臨池閣や鳳翔台などの建物が設けられ彦根城を借景とする江戸初期の大名庭園。
松尾芭蕉が元禄4年(1691)この寺に月沢李由和尚(当寺弟14世)を訪ね「百歳の景色を庭の落葉かな」の句を詠んでいる。
石組は江戸時代の特徴をよく示し、書院からの観賞と池泉廻遊式を兼ね備えた庭園。