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1階が考古部門、2階が歴史民俗部門になっており、約17000点の資料が収蔵・展示されています。考古部門は、村内の古代から平安時代頃までの遺跡や出土品類を展示しています。歴史民俗部門は、各種古文書資料をはじめ、歴史的遺産、昔の衣食住に関する民具類、生産手段に関する物などを展示しています。
野田平は森と源流に囲まれたネイチャーランド。旧分校校舎を利用した宿泊棟は昔の教室そのままで、まさにタイムスリップして誰でも童心に帰れるキャンプ場です。ガス・水道完備のログハウスもあるので安心(ただし、シャワー設備はありません)。利用料金(1泊当たり)●旧分校校舎(全3室)1室7000円●旧体育館全館8000円●ログハウス(小・5人用)1棟5000円(大・10人用)8000円●持ち込みテント1張2000円
天候を気にせずテニスが楽しめる施設。テニスだけでなく、バトミントンやミニスポーツ、ゲートボールもプレイ可能です。
コートのほか柔剣道場・トレーニングルーム・会議室を備えています。公民館クラブ・中学校部活動の拠点施設です。また、村民体育館上部には「村民グランド」があり、野球・ソフトボール等に使用できます(2面)。
松尾多勢子は、江戸時代後期の1811年、山本村(現在の飯田市山本)に生まれ、幼少の頃から読み書きや和歌を学びました。19歳のとき伴野村(現在の豊丘村伴野)に嫁ぎ、家を切り盛りしながら三男四女を育て上げました。当時の伊那谷は国学が盛んで、多勢子はその影響を大きく受けました。多勢子は主婦の座を嫁に渡した後、52歳のときに単身上洛しました。
参道を挟んで左右に55体ずつの石仏の列。歴史の古さを感じさせる苔むした姿としだれ桜とが調和を奏でます。参道中央最上段にある石造庚申像と由来碑は、文政11年(1828)3月に大原信富が建立したものです。それによると、『庚申の日にお庚申様を祭る式事を行い、これを七度守れば三尸(さんし)の災いを滅除することが出来る。私は大原の庵寺の尼さまと相談して私の所有する山林の林横手へ百体の庚申様をお祀りすることとなった。
鬼面山山麓の原生林は、昭和35〜40年頃の間に皆伐されましたが、その際、唯一本のみ残された「トチノキ」で、樹齢300年以上、幹周り4m、樹高30mの勇姿を誇ります。鬼面山への登山道(虻川林道コース)の登山口から約30分歩いた所に位置しています。