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宗谷厳島神社は、天明2年(1782年)奉納と記された「鰐口」が現存するところから一応、天明元年(1781年)に建立されたものと考えられます。祭神は市杵島姫命(いつくしまひめのみこと)という水の女神です神社のいわれについては、更にさかのぼり、室町時代の永正12年(1515年)、松前藩の祖先武田光広が「夢」のお告げを信じ、蝦夷地海浜の要衝に、「弁財天」を祭るように命じたことから、その子孫である蛎崎慶広が、永禄4年(1561年)、姓を“松前”とい改めたおり、宗谷の地にも「弁財天堂」を寄進したのがそのはじまりとされています
江戸幕府の蝦夷地直轄により赴任した大勢の東北藩士達。東北出身とはいえ、宗谷の桁外れの寒さに越冬死者が続出したという。この地の墓には、宗谷で亡くなった会津や秋田の藩士、幕府関係者の霊がまつられている。
帝政ロシアとの国交が悪化し始めた明治35年に、国境の備えとして旧帝国海軍が建設したもので、当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊が、宗谷海峡、津軽海峡、東シナ海のどこかを通過し、ウラジオストクに集結するかを察知することは、戦略上極めて重大であったことから、同望楼の海上監視にも、任務の重要性が課せられました日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わりましたが、その後も、大正9年沿海州で起きた尼港事件(※)では無線通信基地として、太平洋戦争では対潜水艦監視基地として使用されました稚内では明治年代の建築物で現存する唯一のもので、昭和43年12月、市の有形文化財に指定されました※尼港事件(にこうじけん)アムール河(黒竜省)河口から40キロメートル上流の港町尼港(ニコラェフスク)で発生した邦人虐殺事件。ロシア革命後、わが国のシベリア出兵に反感をもつパルチザン(遊撃隊)が、大正9年3月から5月の間に引き起こした事件で、日本守備隊、邦人合わせて700人が虐殺されています
設計者は北海道大学を卒業して3年目、北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任してきた当時26歳であった土谷実氏です。北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年から昭和11年にかけ建設された防波堤です。樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり、古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびています。半世紀を経て老朽化が著しかったため、昭和53年から3年間、全面的に改修工事が行われ、昭和55年にその独特の景観がよみがえり、高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m、柱の総数70本、半アーチ式の構造形式です。2001年に北海道遺産に指定されています。
開設:5月上旬〜9月30日8:00〜21:00 閉鎖:10月〜4月下旬冬季閉鎖
晴れた日には、宗谷海峡・サハリン・大沼・利尻富士・稚内空港が一望できる。また、展望広場には、アルメリアの花壇や風の劇場がある。
休業:冬期間
周氷河地形の美しい丘陵と宗谷湾、大沼そして索漠とした湿原の景色を望むことができる。
オープン:5月上旬〜10月下旬冬季間閉鎖
利尻島・礼文島、また両島に沈む夕日の名所。ノシャップ岬から稚内西海岸沿いを8km南下すると左手に見えてくる。夕日の名所と言われる西海岸の中でも特にきれいに美しく見ることができる。夕日を眺めるには必見のスポット。
開館:4月29日〜11月3日9:00〜17:006月〜9月の期間は9:00〜19:00まで 休館:11月4日〜4月28日
宗谷海峡を一望する宗谷丘陵にある展望休憩施設。隣接しているレストラン「アルメリア」では、柔らかくてまろやかな味わいの宗谷黒牛のステーキをはじめ、最北の街ならではの味覚を堪能できる。また、施設周辺一帯は、宗谷黒牛の牧場となっており、5月から10月まで放牧されており、間近で宗谷黒牛が見られる。
開館:4月27日〜10月31日9:00〜17:00毎週月曜日休館 開館:6月1日〜9月30日9:00〜21:006月〜9月の期間は無休 休館:11月1日〜4月28日
東にオホーツク海、西に利尻・礼文、そして北にはサハリンを遠望する海抜240mの大パノラマ。開拓当時の先人の暮らしを知る郷土料理や、かつて日本の領土であった樺太に関する貴重な資料が展示されている。2階には展望施設がある。
開館:4月29日〜11月3日9:00〜17:006月1日〜8月31日の期間は8:00〜18:00まで開館
利尻礼文サロベツ国立公園内にある稚内では唯一の休憩施設。利尻富士を間近に見られるポイント。初夏から8月にかけて、すい蓮の仲間ネムロコウホネをはじめ、色とりどりの原生植物に包まれる。