蓮華定院
弘法大師の入定留身の地である高野山に住む僧侶の務めの第一は、大師にお給仕することであると教えられてきた。その足らざる所は、ご参詣の信者の皆様へのお給仕によって補えればと考えている。高野山は明治に二度の大火に襲われたが当院は幸に逃れ、江戸期の大名の菩薩寺としての格式を今に伝えている。豪華な襖絵や調度、よく手入れされた庭園と、庭園に面する部屋。修行の一環として接待に携わる僧侶。季節感溢れる精進料理等はその一端である。「これこそが自分の想像していた通りの日本」と言う外国人参拝者の評価も高い。英語での対応も万全である。関ケ原の戦の後、真田昌幸・幸村が隠棲した。寺務所の了承が必要