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古川城主鈴木和泉が、農業の振興をはかるために開かせた朝市で、慶長年間から続くもの。現在も熊野神社境内で開かれる。野菜、苗類、花卉、漬物など農家の主婦たちが露店を出し、朝6時ごろから昼ごろまで買い物客が訪れる。
生産者直売の市であり、特産品が所狭しと並ぶ。7月〜11月毎日曜日朝6:00〜9:00頃。
海上安全祈願の社として崇敬される。また、養蚕繁盛や五穀豊饒・商売繁盛も司る。
東西相対峙し、男滝女滝が奔流をなしており、滝と滝の間に不動尊が祀られている。
村上寺と称し、平安期の初期大同2年(807)坂上田村麻呂が蝦夷征伐に際し、将兵の安全を祈り、建立したものと伝えられる。
大崎氏奥州下向の最初の拠点で家臣笠原重広によって築城され、その後大崎氏家臣渋谷氏が居城したと伝えられる。
古墳時代終末期の小円墳群である。水田開発に伴い多くの古墳が消滅している。昭和44年には4基の古墳を発掘調査している。
中世の奥州探題であった「大崎氏」の居城と推定される。現在でも、当時の土塁や堀跡が残っている。
全長が100mをこえる、東北地方最大級の前方後円墳と考えられる古墳です。現在前方部は残存しないものの、前期前方後円墳では最北端に位置するものです。
古代の寺院跡。国指定史跡名生館官衙遺跡が当時の役所跡で、その南側約1kmに位置することから、名生館の付属寺院であると推定される。