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昭和46年5月23日開館高さ2.5〜5mの石垣に囲まれた片野家の一角で、館主片野知二氏が片野家に伝わる貴重な歴史資料をはじめ、およそ6千点にも及ぶ近世庶民資料岐阜県中世文書影写本、堂金石銘文手拓、郷土文人遺墨美術品、輪中民俗文化財及び郷土資料研究の参考文献などと農具、漁具、養蚕具、生活用品などとともに保管、陳列した私設の民俗博物館です。
長良川から揖斐川へそそぐ大榑川に作られた洗堰の跡地。
公開:9:00〜17:00 休業:年中無休
もともと薩摩藩が幕府の命によりこの地方の御手伝普請を行うことに理不尽さがありました。そこに未経験の工事に取り組んで失敗したり、憤激も起き、割腹者が相次ぎました。しかし幕府の手前割腹したと言えなかったのです。従って「腰の物にて怪我致し候」と言われました。江翁寺には宝暦薩摩藩御手伝普請の没者6名の墓があります。
宝暦薩摩藩御手伝普請の没者の墓である。ただ一人だけ心巌院にまつられています。薩州鹿児島之内小山田住八郎左衛門と墓石に書かれています。
舛屋伊兵衛は宝暦治水工事の際、ただひとり人柱となった人物。養老郡多良の生まれで、領主高木内膳の下人となって江戸・神田紺屋町に住んでいました。宝暦4年(1754年)2月、薩摩藩による木曽三川の御手伝普請(治水工事)が始まり、内膳が水行奉行という幕府方の工事監督になると伊兵衛も一緒に美濃に帰ってきました。伊兵衛は同年9月22日大榑川洗堰の工事現場にやってきて、凄惨なまでの難工事を目撃、「これは水神の怒りによるものだ。人柱となってその怒りを鎮めよう」と濁流に身を投じたのです。
清流揖斐川のせせらぎを聞きながら自然のなかでおいしい鮎料理を味わうことができます。
仏像、絵画、古文書をはじめ大般若経600巻などの重要文化財があります。
嵯峨天皇の勅願寺として伝教大師が創建されたもので、仏器や沈金経箱、古文書などを蔵しています。
営業:通年
史跡めぐり観光タクシー、所要時間/90分コース6,550円・120分コース8,550円・150分コース10,550円