観光地検索

全日本の観光地へ

1354 件の 93 ページ目 (0 秒)

尾上車山古墳

浦間茶臼山古墳と並ぶ初期大型古墳の代表的なもの。

岡山城

公開:9:00〜17:30入館は17:00まで 休業:年末12/29〜12/31

天正元年(1573年)に宇喜多直家により築城が始められ、慶長二年(1597年)に完成した。戦災で天守閣は焼けてしまったが現在は再建され、内部は展示室となっている。北西の隅には焼失をまぬがれた月見櫓が三十一万五千石の往時を偲ばせる姿で建っている。◎宇喜多直家(1529年-1582年)初め赤松氏の重臣浦上宗景に仕えた。下剋上で宗景は赤松の領国備前・美作などを押領するが、直家もまた宗景の隙をついて毛利元就と通じ、備前を奪い取って岡山城に入り、ついで美作を版図とし、毛利麾下となった。だが、天正8年に秀吉が播州三木城を陥れると、時勢を詠んで秀吉の陣営に加わった。◎宇喜多秀家(1573年-1655年)備前南部生れ。豊臣秀吉に従い軍功。五大老の一人。関ケ原の戦に敗れ、八丈島に流刑。岡山城下発展の基礎を作った。◎小早川秀秋(1582年-1602年)岡山城主。関ケ原の戦では西軍方についていたが戦い半ばで東軍に転じたため西軍はたちまち総崩れとなった。◎池田光政(1609年-1682年)備前岡山藩主。儒教主義に基づいて藩政を行う。熊沢蕃山を登用。閑谷学校を建て、新田開発などを行う。◎津田永忠(1640年-1707年)岡山生れ。藩主池田光政・綱政二代に仕え、岡山藩の作事関係に功績を残した。閑谷学校の造営、後楽園の築造、沖新田の干拓工事などを行った。

岡山シティミュージアム

開館:10:00〜18:00 休館:月祝日の場合は翌日 休館:12/28〜1/4

岡山の歴史と今を記録し、次世代へと引き継ぐ博物館。床一面の巨大航空写真に埋め込んだ岡山の歴史・文化・自然などの情報を移動型情報端末で取り出せます。吉備の文化、岡山城、備前焼、児島湾干拓などを実物資料とデジタル技術などでわかりやすく解説しています。

旧犬養家住宅

公開:9:00〜17:00 休業:火祝日の翌日(土・日曜除く)

5.15事件で「話せばわかる」の言葉を残して青年将校の凶弾に倒れた犬養木堂の生家。昭和51年犬養家から岡山県に寄贈され、解体修理を行い公開された。主屋は、江戸時代中期の大庄屋の姿を伝える貴重な建物である。

吉備津神社本殿・拝殿

拝観:6:00〜18:00

足利義満が勅命を受けて再興し、応永32年(1425年)25年を費して完成した。本殿は吉備津造、桧皮葺、正面5間、側面8間で内部は外陣、朱壇、中陣、内々陣といく重にも囲み、朱漆・丹・胡粉などで彩色を施してある。拝殿は妻入りに裳階、腰屋根をつけた独特の形式。

足守

江戸時代前期に、陣屋町が徐々に形成された町。侍屋敷の外足守川との間に町家がつくられ、町人街が形づくられて繁栄した。しかし明治の廃藩置県で陣屋・倉屋敷などの公共施設は取り壊された。しかし、旧屋敷町の随所に侍屋敷の面影が残り、どっしりとした町家は比較的よく通りに沿って残っており、平成2年より町並み保存整備がおこなわれている。

後楽園の梅・桜・ツツジ

後楽園は江戸時代初期の遠州流の流れをくむ林泉回遊式の庭園。水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに日本3名園に数えられる。東から北にかけて梅林や桜林があり、茶林、松林へと続く。林に囲まれた芝生が特徴。

RSKバラ園

250種2万5千株のバラ園。紫陽花・花菖蒲園などがあり、子供の広場・芝生の広場などが設けられている。

鳴谷峡

鳴谷川上流。四季の景観がすばらしい。県指定の史跡。

児島湖

児島湾をせきとめて造った人造湖。

旅行情報