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円覚寺跡

尚王家の菩提寺。石彫の放生橋と朱塗りの総門が復元。

第32軍司令部壕

旧陸軍の沖縄防衛司令部跡。壕は首里城の下,長さ1,000m余りにもわたる。

一中健児の塔

旧県立一中生徒による鉄血勤皇隊の戦死者の慰霊塔。

首里城

開館時間:4月〜6月9:00〜19:30入館券販売締切19:00 開館時間:7月〜9月9:00〜20:30入館券販売締切20:00 開館時間:10月〜11月9:00〜19:30入館券販

1945年の沖縄戦で消失したが1992年11月に復元された。14世紀末より琉球王朝時代の政治文化の中心として、繁栄してきたが、沖縄戦を含め4度消失し、復元を繰り返す。現在の建物は、平成4年に復元され、平成12年には「琉球王国のグスク及び関連道産群」として、「世界遺産」に登録される。

ヒジ川橋及び取付道路

自然の石灰岩の岩塊を利用し,橋脚を補強し,川床に張り石を施している点が特徴

天女橋

円鑑池の中島にかかる石橋で石灰岩の切石が使われている。

旧崇元寺石門

崇元寺は、その山号を霊徳山と称し、琉球歴代王の霊位を祀った寺で石門はアーチ型3つに左右の通用門を加え5つの門が一定の間隔を保って一直線に並列している。門は石垣で形成されているが、その調和がよいばかりでなく、雄大で壮美なため建築専門家に琉球随一の建造物だと激賞されている。戦前は国宝に指定されていたが、今次大戦で寺院は壊滅し、現在は戦後復旧された石門が残っているだけである。しかし、門前の下馬碑は向かって右側の一つが戦災を免れ昔の形を残している。

守礼門

首里城には6つの門があり、ここはその第二楼門。最初の名を待賢門と称し、のち梁上に「首里」の二字を掲げ、首里門と俗称された。尚清王代に「守礼之邦」と掲げるようになってから守礼門と称せられるようになる。これは、戦後沖縄の平和主義のシンボルとしても名高くなった。約450年前の建築。一見中国風に見えるが、琉球独特の手法で造られたもので王朝時代の建築文化の代表作の一つだった。残念なことに戦災で焼失、1958年に再建された。赤と白のモザイク模様の瓦屋根、二層の屋根の配置の妙と、どっしりした上部を支える四本柱、重厚感と瀟洒をないまぜた容姿は、南の陽光の下で美しい。

龍淵橋

円鑑池から竜潭池にかかり,王都首里のすがたをほうふつとさせる。

園比屋武御嶽石門

もとの石門は尚真43年(1519年)に八重山竹富島の西糖が築いたものと伝えられている。昔は国王が出御の時、道中の安泰をこの御嶽で祈願したといわれ石門はいわゆる拝殿にあたる。構造形式は尚円王朝初期の特質がよく生かされ木造瓦葺の形容を表わし、軽快で雄健な風格がある。これも戦前国宝に指定されていたが、今次大戦によって損壊し現在あるものは昭和32年3月修復されたものである。

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