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日輪寺

日輪寺(にちりんじ)は、平安時代に天台宗の寺として開山され、鎌倉時代に曹洞宗に改められました。菊池武時、加藤清正、細川忠利ら歴代の領主より手厚く庇護された名刹です。昭和44年、日輪寺裏山でつつじ育苗園を造成中、古墳時代前期の竜王山古墳が発見され話題を呼びました。長い歴史を持つ寺であるため、境内には多くの史跡があります。菊池武時の息女了心素覚尼の五輪塔や在銘の梵鐘(1358年作)、石体観音三十三基、忠臣蔵で知られる赤穂義士のうち細川藩にお預けになった大石内蔵助良雄を始めとする十七士の遺髪を納めた遺髪塔があります。毎年2月4日の義士命日には「義士まつり」が開催されます。忠臣蔵ゆかりの地詳しくはこちら≫また春には、標高142mの裏山に3月下旬から約200本の桜、4月中旬からは3万5千株のツツジが咲き誇り、一帯は赤や白、ピンク色に染まります(品種はクルメ、ヨドガワ、サツキ)。「日輪寺公園つつじ祭り」も開かれ、花見客・観光客で大変賑わいます。

チブサン古墳

公開:10:00〜14:00 休業:月月が祝日の時は翌日

岩野川沿いの平小城台地にある前方後円墳。石室の奥の石屋形の内壁に装飾文様がある。乳の神の信仰あり。

弁慶が穴古墳

吉田川沿いの前方後円墳。内部の赤白青の船や馬の壁画が鮮か。

鍋田横穴群

岩野川西岸の61基の横穴古墳。外壁の絵模様で有名。

豊前街道

肥後・熊本(熊本市)を起点として北上し、植木・山鹿から南関を経て豊前・小倉(北九州市)に至る道を熊本では「豊前街道」と呼んでいます。近世になってこれらの道は参勤交代道として栄え、大名行列の宿場町として栄えるなどその土地固有の産業や文化が育ってきました。昔から湯のまちであった山鹿は宿場町、文化の中心として栄え、重厚な貫禄が町並みに残っています。豊前街道には、八千代座をはじめ山鹿灯籠民芸館、寺社、薬師堂や、昔の商家を利用した飲食店や土産物屋が並び、あし湯もあり、休憩をしながら一帯をゆっくりと散策できます。また、天璋院篤姫様が嘉永6年(1853)の8月21日に鹿児島を出立し、29日には鹿央町の善行寺で休憩をした後、山鹿の御茶屋(江戸時代、領内の主な街道筋に設けられ、藩主が参勤交代などの時に宿泊したり休憩したりする施設)に宿泊し、30日の早朝に山鹿を出発したと言われています。明治2年まで山鹿温泉には、御茶屋の中に藩公入浴の「御前の湯」、士分の身分用の「御次の湯」、また外には一般民の入る「平湯」がありましたが、明治3年の改築で、竜の湯(御前の湯)・御次の湯を引いて、新たに松の湯、紅葉湯、桜湯を造り、町民のための温泉となりました。竜の湯は平時廃湯され、貴賓来臨時に開湯することにされました。こんこんと湧き出るお湯は当時と変わりませんが、建物については、温泉プラザ山鹿ビル1階にある「さくら湯」の玄関がその面影をとどめいています。(現在、建替え中)また、「御前の湯」の天井に描かれていた狩野洞容作「竜の絵」は、現在、山鹿灯籠民芸館に展示されています。

八千代座

公開:9:00〜18:00 休業:12月29日〜1月1日第2水曜日

八千代座(やちよざ)は、明治43年に、旦那衆と呼ばれる山鹿の実業家たちの手によってつくられた芝居小屋です。江戸時代の古典的様式の中にドイツ製のレールを使った廻り舞台など、充実した機能をもっていました。そのころの山鹿は交通の要衝として物流の拠点であり隆盛を極めていました。八千代座は当時の豊かさの象徴であり、レベルの高い文化・芸能を楽しむ場として建てられたものです。明治44年に「こけら落とし」が行われ、各地より多くの有名な芸能人たちが来演し、大正・昭和にかけて観客を楽しませてくれました。昭和に入ると、テレビの普及などにより一時廃屋同然となってしまいますが、八千代座での数多くの思い出をもつお年寄りたちが中心になって復興運動を展開。その努力が実り、昭和63年に国指定重要文化財に指定され、以後全国にその名を知られることになりました。坂東玉三郎さんの公演や、この芝居小屋に寄せる山鹿の人々の情熱は、華やかだったあの頃を再び蘇らせてくれています。公演以外の日は、見学することも可能です。山鹿へお越しの際は、ぜひ一度お立ち寄りください。

不動岩展望台

この不動岩は、山鹿市三玉地区の蒲生にあり、その北東・標高389メートルの山の中腹から頂上にかけ、天に向かって突き出しています。岩の高さは約80メートル、根回りは100メートルです。不動岩は、5億年以上も前の古生代(オルドビス紀)の『変はんれい岩』からできたもので、まだ日本列島の形すらできていない時代のものです。この変はんれい岩が気の遠くなる年月をかけて崩れて海に流され、海水に洗われ丸い小石や砂になり、小石が海底に厚く積み重なって強い圧力を受け岩磐となり、その周囲が削り取られていわゆる国歌「君が代」の歌詞にある「さざれ石の巌(いわお)」となったものが不動岩です。【名前の由来】平安時代、山伏たちがこの山中にこもり、不動明王を本尊として祀り修行したことに由来します。現在も不動岩の付け根には不動神社の拝殿があります。不動岩のふもとまでは登山道路(九州自然遊歩道)が整備されており、乗用車が5台駐車できる展望所もあります。前不動・中不動・後不動の三つの岩から構成され、中不動と後不動には、遊歩道を使って登ることができ、そこからの眺望はまさに絶景といえます。「みいくさの神の姿を仰ぐかな平伏す岩はまつろえる神という古歌が残っています。この威風堂々とした不動岩の雄々しくそそり立つ様が、いかにも男性の力と美を全身にみなぎらせたような姿ではないか、という意味です。

日輪寺公園のツツジ

ツツジ35,000本が咲き、つつじ祭りが行われる。

不動岩

この不動岩は、山鹿市三玉(みたま)地区の蒲生(かもう)にあり、その北東・標高389メートルの山の中腹から頂上にかけ、天に向かって突き出しています。岩の高さは約80メートル、根回りは100メートルです。 不動岩は、5億年以上も前の古生代(オルドビス紀)の『変はんれい岩』からできたもので、まだ日本列島の形すらできていない時代のものです。 この変はんれい岩が気の遠くなる年月をかけて崩れて海に流され、海水に洗われ丸い小石や砂(さざれ石)になり、そのさざれ石が海底に厚く積み重なって強い圧力を受け岩磐となり、その周囲が削り取られていわゆる国歌「君が代」の歌詞にある「さざれ石の巌(いわお)」となったものが不動岩です。また奇岩名勝として、熊本二十五景のひとつにも数えられています。

蒲生の池

県下最大の人工池。北側に運動公園がある。

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