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源頼朝が1181年(養和元)文覚上人を開山として建てたといわれる。ここは、源頼朝公御祈願所であり、頼朝の供養をここですることになっていたといわれる。寺宝には、頼朝にゆかりの物が多く、中でも珍しいのが、平家の赤旗で、平家の総大将平宗盛が最後まで持っていたものだといわれ、頼朝がこの寺に奉納したという。現在は公開されていない。鎌倉三十三観音第3番。別名、竜巻寺。
足利家時が開基、天岸慧広が開山で、1334年(建武1)の創建と伝えるが、上杉重兼が開基ともいわれる。本堂の裏手は見事な竹林で「竹の寺」として有名。鎌倉三十三観音第10番。
木像如意輪観音像はもと源頼朝の法華堂の本尊開山は一向上人
足利義兼を開基、退耕行勇を開山として1188年(文治4)に創建。鎌倉五山の第五位。どっしりとした屋根の本堂が風格を感じさせる。鎌倉三十三観音第9番。
この地は、本圀寺の跡地であるといわれる。本圀寺はこの地方の領主石井三郎長勝が日蓮に帰依し、邸内に小庵を建てて寄進したもので、本圀寺が京都に移された後、1345年(貞和1)に日静上人が復興し、石井長勝の名にちなんで長勝寺と名付けたといわれる。
1333年(元弘3)新田義貞が鎌倉攻めをしたときの本陣をかまえた場所で、義貞が北条方の戦死者の霊を慰めるため1337年(延元2)に建立したといわれる。山門と本堂に掲げられている額の「内裏山」と「九品寺」の文字は、義貞の筆の写しと伝えられ、直筆と伝えられる額は本堂に保存されている。
赤い幟旗に彩られた数十の鳥居をくぐり、階段を登りつめると社殿がある。社伝によると、源頼朝が伊豆に流されていたとき夢のお告げで旗挙げを促した「かくれ里の稲荷」を佐助稲荷と名付け祀ったという。
もと太田道灌の屋敷跡で、鎌倉唯一の尼寺。太田康資の娘で徳川家康の側に仕えたお勝の局(後の英勝院)が、1636年(寛永13)に建立したという。住職は代々水戸家の娘を迎えてきたという。
後三年の役で活躍した鎌倉権五郎景政をまつり、地元では「権五郎さま」と呼び親しまれている神社。毎年9月18日に行われる面掛行列が有名で、その際に十人衆がつける仮面が境内の宝物庫に保管されている。
菊理姫之命を祭神とする今泉の鎮守。社伝によると源頼朝の創建と伝えられ、京都へ上洛の際、鞍馬寺からもらいうけたといわれる毘沙門天立像も納められている。本殿の前には、大百足をあらわした大きなしめ縄がかけられ、ここに住む守護神と伝えられる。