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静岡県の方広寺から勧請し、半僧坊大権現を祀る。参道に天狗の像が立ち並んでいる。尾根づたいに天園(てんえん)ハイキングコースが続く。
日本三天神の一つに数えられ、学問の神様、菅原道真をまつる。1104年(長治1)、雷雨と共に天神の天降り、神意を尊び里人がこの地に社殿を建てたと伝えられる。享保年間再建という朱塗の社殿が建つ。毎年1月25日に筆供養がある。
鎌倉時代の七堂伽藍が焼失した後、1394年(応永1)に鎌倉公方足利氏満の命により、上杉氏定が心昭空外を招いて再建。薬師堂は1776年(安永5)に浄智寺から移したもので、薬師像の顔を胎内に納めた薬師如来像(別名啼薬師)が祀られる。鎌倉三十三観音第26番。鎌倉二十四地蔵第15番。
もとこの地には尊観が開いた浄土宗の善導寺があった。のちに北条政子が亡き夫頼朝の冥福を祈って建てた長楽寺が焼失したため、鎌倉末期にこの善導寺の跡に長楽寺を移し、政子の法名である安養院を院号としこれが寺名になったといわれる。その後、江戸時代の始めに田代寺の千手観音を移した。本堂には北条政子の像などが安置されている。鎌倉三十三観音第3番・鎌倉二十四地蔵第24番。
1869年(明治2)に明治天皇の勅命により創建、祭神は大塔宮護良親王。境内には、足利氏により親王が幽閉された土牢や宝物殿、神苑(1994年に完成)がある。また、摂社村上社前には親王の身代わりとなった村上彦四郎義光の木像があり「身代りさま」と呼ばれ親しまれている。神苑には紅白一対のシダレウメやツツジ・シャクナゲ・ミツマタ・ショウブ・藤棚など草木も多く自然にあふれている。四季折々に多くの花が咲き、メジロやウグイスが飛来する。
北条時宗の志で無学祖元が開山した寺。鎌倉五山第二位。舎利殿・大鐘は国宝。その他重文多数。座禅はできますが、宿泊はできません。開基:北条時宗
源平の合戦に活躍した佐々木盛綱が、江の島弁財天への参詣の途中この神社がある小動山に上り、その風光と松に感激して日頃信仰する近江国八王子宮を勧請したのが始まりだといわれる。新田義貞が鎌倉攻めをした時、神社に戦勝を祈願し、成就の後に太刀と黄金を寄進したため、それで社殿を再興したと伝えられる。
1929年(昭和4)に永遠平和のために地元有志が大船観音の建立に着手、1934年に像の輪郭ができあがった。その後、戦争により未完のままになっていたのを、戦後、曹洞宗管長高階瓏仙禅師らが中心となり財団法人大船観音協会を設立し、1961年に現在の像に完成。高台から大船のまちを見守る姿は電車からも見え、人々に親しまれている。1981年(昭和56)から大船観音寺となり伽藍が整備された。
1180年(正治2)に北条政子が頼朝の父、義朝の旧邸跡に明菴栄西を招いて創建。三代将軍実朝もしばしば訪れ、最盛期には十数か所の塔頭を擁する大寺であったという。現在は、中門の手前まで入ることができる。鎌倉五山の第三位。鎌倉三十三観音第24番。鎌倉二十四地蔵第18番。世界文化遺産候補地です。
開山は日蓮上人として創建。ここも妙法寺と同じく松葉ヶ谷法難の跡と伝えられる。日蓮が鎌倉にきて初めて道場とした岩窟がこの寺がつくられるもととなり、「立正安国論」もこの岩窟で書かれたという。この場所に寺ができたのは日蓮の弟子日朗が岩窟のそばに建てた「安国論窟寺」が始まりで、のちに安国論寺とよばれるようになったといわれる。