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春日造の社殿4棟が並ぶ。古事記の編者太安萬呂をまつる。主祭神は神八井耳命。学問の神として信仰を集める。境内には多遺跡(弥生時代)がある。
壬申の乱の折、大海人皇子の勝利に貢献した式内の古社。照葉樹林相は県の天然記念物。平地には珍しいイチイガシの群生有。
鏡作連の氏神であった神社。古来より鏡鋳造の神として信仰を受ける。主祭神は天照国照彦火明命。毎年2月20日に近い日曜に御田祭が行われ賑わう。奉賛者が演じる牛が暴れれば暴れるほど豊作と言われている。
外敵を防ぐために部落ごとに造られた濠で,昔は2重環濠になっていた。田原本にある集落のほとんどが環濠集落だったという。道路拡幅工事により東側などが埋められた。
唐古池を中心とした集落跡。弥生時代を代表する遺跡で,国の史跡指定を受けている。遺跡の面積は42ha。平成3年の調査で出土した土器の絵を基に復元された高さ12.5mの楼閣がそびえる。
屏風杵築神社の西側に川を挟んで小さい祠の白山神社がある。この境内にある「腰掛け石」は、聖徳太子が斑鳩から飛鳥の里を往来され、休憩されたときに腰掛けられたと伝わっている。また、当時の村人が、屏風を立てて太子を接待したことから、村の地名が「屏風」になったともいわれている。
屏風杵築神社と同じく、祭神は須佐男命で出雲大社(杵築大社)系の神社である。拝殿の中に、絵馬が奉納されており、屏風と同じく幕末流行した「おかげ踊り」を描いた絵馬は、民俗学的に貴重であり、県の有形民俗文化財の指定を受けている。
この神社の祭神は須佐男命で出雲大社(杵築大社)系の神社である。拝殿に、奉納されている「おかげ踊り」をする絵馬は、民俗学的資料として貴重であり、県の有形民俗文化財の指定を受けている。
飛鳥時代に、聖徳太子が「斑鳩の里」から「三宅の原」を経て、「飛鳥の里」を往来された道が「太子道」である。この道路は、条里制の南北方向の地割りに斜交(北方向約20度西、南方向約20度東)している道で、別名「筋違道」とも呼ばれている。中世以降は、「法隆寺街道」とも呼ばれ、生活道路として盛んに利用され、現在も町道70号線として活用されている。