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伊達家十一代持宗によって応仁元年(1467年)に開創されたと伝えられる。山門は伊達藩家老職片倉家の居城であった白石城の門の1つを明治時代に移築したもので、県内に残る城門のうち最も広壮な物である。境内には持宗公夫妻の供養塔と言われる五輪塔2基が、ひっそりとたたずんでいる。
伏見稲荷を勧請して鎮守とした。
地元では笠島の道祖神とも呼ばれる。かつて表参道であった見事な竹林道が、現在も鳥居に向かってまっすぐ続いており、見所となっている。光源氏のモデルの1人とも言われる「中将藤原実方朝臣(ちゅうじょうふじわらのさねかたあそん)」が赴任中、神社の前を通過する際、無礼のため馬と共に倒れ、帰らぬ人となったと伝えられている。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折に重い病気にかかり、この社を建て武運長久と国家安泰、病気平穏の祈願をし、無事に大和に凱旋したと伝えられる。
神社に伝わる棟札から、延亨元年以前に造られたもので、元神明宮と称し明治5年に下増田村社に列格されたと伝えられている。明治40年に雷神社と熊野神社を合祀し、明治42年5月に下増田神社に改称。前沼池というみそぎのための古い池がある。
古墳時代前期の前方後円墳。関東以北最大のもの。国指定史跡。長さ168m、後円部径96m
中古三十六歌仙の一人藤原実方朝臣の墓。三蹟の一人藤原行成に乱暴を働き、佐近衛忠将から陸奥守に左遷されたと伝わる。西行・芭蕉ゆかりの地でもある。
約1200年前の横穴墓約200基。市指定文化財。
前方後方墳の5基、方墳2基の古墳群。国指定史跡。
「中心コア型ロックフィルダム」と呼ばれる形式のダムで、岩石や土砂を積み上げて建設されている。市内中心地からも近く、バス釣りが楽しめる。