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窯跡は備前市伊部地区の伊部南大窯跡、伊部西大窯跡、伊部北大窯跡の3箇所から成る。桃山時代から江戸時代にかけての備前焼の隆盛物語る史跡のひとつで、備前焼の陶工が共同で使った窯。これらの窯のうち最も大きいものは長さ54m、幅5mにおよぶ巨大な窯である。
旧閑谷学校の瓦を焼くために作られた窯の跡。窯は全長9mほどの小窯2基と考えられる。1688年〜1703年の間に焼かれた。後ににはこの窯を利用して、祭器、茶器、細工物などの閑谷焼きを焼いた。
江戸前期の儒者で、京都の人。岡山藩主池田光政に招かれ、藩政を指導。のち京都に移り、政治批判のため幕府に忌まれた。著書『集義和書』『集義外書』『大学或問』。周囲の山には蕃山関係の史跡が残る。
天保3年(1832)ごろ築窯され、初め五室であったものが、補修、改修されながら、昭和15年ごろまで焼き継がれた。備前焼の古窯で、原姿をとどめているのは、この窯だけである。
国立公園指定。頂上からの眺めがすばらしい。
頂上には1.5ヘクタールの公園が整備されている。春には、約100本の桜が咲きほこる花見スポット。
鑑真和尚の開基と伝えられる。備前48ヵ寺の一つ。大滝山福生寺と総称する真言宗の一山地であり、現在は福寿院・西法院・実相院の3院がある。
学校創設者池田光政の遺徳をしのんで、貞享3年(1686)に建立した。当初は東御堂、芳烈祠と称していたが、明治8年に祖父輝正、父利隆を合祀、閑谷神社と改称した。光政の金銅座像が安置されている。堂宇8件は重要文化財。
報恩大師備前48ヵ寺の一つ。藩主池田公の信仰厚かった。日光陽明門を模した山門がある。熊沢蕃山ゆかりの寺で付近には蕃山宅跡もある。
大滝山福生寺にある三院の一つ。