頼久寺庭園
岡山県高梁市頼久寺町18
慶長5年(1600)に小堀新助正次が松山代官として赴任した際、この寺を仮館として政務を執り、元和3年(1617)伏見奉行に移るまで、18年間在府した。この寺の鶴亀園は、正次の子・小堀遠江守政一(遠州)が在府中に造ったと伝えられる桃山期の代表的な枯山水庭園である。明治維新の廃仏毀釈の禍いを被って、寺領は没収され、境内の大部分を失ったとき亀島を失ったが、幸い豪快な桃山時代の思想を表現している鶴島と大刈込みが現存している。(国の名勝)(ミシェラングリーンツーリズムジャポン星1)