全日本の観光地へ
常設展示-舞草刀と刀剣玄沢と蘭学文彦と言海一関と和算
平安末期に東北を支配した奥州藤原氏の居館のあった「平泉館」と推定されている。現在、発掘調査と復元整備が行われており、堀・橋・道・堀・池跡などの遺構が見つかっている。
東北横断自動車道釜石秋田線東和ICと隣接しており、温泉、西洋風ガーデン等備えた道の駅です。
思惟大橋に隣接したコミュニティ公園内にあり、木造りの歩道橋や散策路は家族連れに人気があります。
7月6日に本館リニューアルオープンしました。
律令国家の東北経営の前進拠点となっていた志波城がたびたび水害にあったため,征夷将軍文室綿麻呂が弘仁3年(812)ごろ築いた,辺境防備と開発の城柵,官衙である。廃城年代は、発掘調査成果から、9世紀中頃とみられる。発掘された遺物は,史跡西側の歴史民俗資料館に展示されている。
雫石川をせき止めて造られた多目的ダムで中央コアー型ロックフィル,コンクリート動式の複合ダム。洪水調節,用水供給,発電を行っている。日本版TVAで北上川流域五大ダムのフィナーレを飾る。
通称安倍館を柵址とするのに対し,近年では発掘調査の結果などから安倍館より南西の天昌寺一帯が柵址であると考えられている。そして安倍館は嫗戸柵址に比定されている。ただ『陸奥話記』に描かれた厨川落城の様相をしのぶには,北上川に断崖を落とす安倍館の景観がよりすぐれている。安倍館は源頼朝の御家人工藤行光が居城とし,以来,工藤氏が戦国時代末期まで在城した。今は住宅地と化し,空堀を残すのみとなっている。
田老川河口で本州一の鮭の遡上・採卵が見学できる。(11月〜1月)。