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和風庭園、十朋亭、遊園地、木製遊具、体育館など。桜の名所でもある。
三河三弘法第二番札所。見送弘法大師を祀る。
応永10年(1403)、遠州浜松普済寺の利山義聡が海会寺を開いたが、多くの修行僧が集まり境内が手狭となったので、応永20年新たに当寺を開いた。第7世古堂周鑑のとき刈谷城主水野家の菩提寺となった。境内には、市史跡である「水野家廟所」がある。
三河三弘法第三番札所。流涕弘法大師を祀る。
神社境内の北西部、社務所や本殿の下に貝塚が広がっている。昭和44年の発掘調査で、「元刈谷式土器」とよばれる縄文時代晩期の土器をはじめ、土偶や石器など多彩な遺物が出土した。なかでも一度葬られた人の骨を井桁状に並べて再埋葬した「盤状集積葬人骨」は当時の三河湾沿岸に特徴的な埋葬として知られる。貝塚は昭和42年に愛知県の史跡に指定され、出土品も昭和49年に県の有形文化財に指定された。出土品等は刈谷市郷土資料館で展示されている。
徳川家康の生母於大の方(伝通院)の父親である水野忠政が天文2年(1533)に築城。忠政の孫にあたる水野勝成が初代刈谷藩主になると、以後9家22人の譜代大名が藩主となった。現在、刈谷城の本丸と二の丸の一部が亀城公園となっている。本丸の北西の隅に立っていた櫓の場所には、現在、市民の集会所である十朋亭が建てられている。
神社境内の北西から南東にかけて貝塚が広がっている。昭和23・24・40年に発掘調査が行われ、縄文時代後期・晩期の土器をはじめ、石鏃や磨製石斧、石錘等の石器、貝輪や骨角器が出土した。また、埋葬人骨6体が出土した。昭和42年に愛知県の史跡に指定された。
ハイウェイオアシスとは、公園と高速道路のパーキングエリアを隣合わせて、お互いに行き来できる施設です。ランドマークは観覧車。岩ヶ池周辺の自然とレストランショップ、また刈谷初の天然温泉など、誰もが楽しめる魅力がいっぱいです。
樹齢30年余のソメイヨシノが約670本。3月下旬から4月上旬にかけて桜まつりが開催されます。
21.1ha広大な面積を有する公園内の桜は洲原池の西岸の丘陵地にある。約470本のソメイヨシノが満開になるとまさに“桜の園”となる。