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横蔵寺

曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼仏です。播磨西国三十三ヵ所観世音霊場めぐりの第29番札所です。十一面千手千眼観音は、鎌倉時代の仏師、運慶・湛慶父子の合作と言われている秘仏で、25年毎の開帳です。像の半身を互いに持ち、まだ見ぬ父と息子が一目会いたいと旅に出た運慶と湛慶。偶然出会えて、互いの半身像を合わせたところ、見事に一体の千手観音になったと伝えられています。境内は手入れが行き届いており、門前には日本庭園があります。

日光山常楽寺

みやまつつじがきれいな石造遺品が数多く残る寺院。真言宗の寺院で、本尊は薬師如来です。大化5年(649)法道仙人の開基といわれています。天正年間、豊臣秀吉の三木攻めの時、堂塔伽藍すべてを焼失し、延宝6年(1678)に再建されました。境内には、鎌倉時代に造られた花崗岩製の九重塔、凝灰岩製の三重塔、室町時代に造られたと思われる凝灰岩(竜山石)製の五輪塔などの石造遺品がたくさんあります。春には、みやまつつじがきれいに咲き誇ります。

神吉の常楽寺

浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。ここはもともと神吉城があったところです。本堂など4棟の建物が平成19年7月、国の登録文化財となっています。境内には、神吉城主だった神吉頼定のお墓があります。春のお花見の頃には、見事なしだれ桜が、参拝者の目を楽しませてくれます。

安楽寺

城山(中道子山)のふもとにある浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。もとは真言宗の寺院で、弘法大師の弟子、真紹上人(しんしょうしょうにん)の開山で、山頂に無量寿院を創建した(811)のに始まり、本光山中道寺と改号し、長い間山頂にありましたが、赤松氏が城を築く際、山麓に移されました(1380)。赤松氏の没落後、城主櫛橋(くしはし)氏によって浄土宗寺院として再建されました。白い塀が長く続いているのが印象的で、春には見事な桜も楽しめます。

志方八幡神社

天永2年(1111)宮谷に創祀され、明応元年(1492)現社地に奉還して八幡神を勧請しました。古来、厄除安産の神、交通安全の神として高く崇敬され、播磨三社八幡の一つです。志方荘30ヶ村を鎮守したといわれ、祭神は、応仁天皇、神功皇后、玉依比売命(たまよりひめみこと)です。明治の初めまで、毎年秋の祭礼に奉納されるほど、能楽が盛んでした。毎年10月の神幸式では、新しい型の舞楽、胡蝶の舞(正式名称「和光楽」)が奉納されています。

天下原の毘沙門さん

天下原の毘沙門さん(大歳神社)は弘化3年(1846)に建てられたものといわれています。天下原字鞍馬山の岩肌に彫刻された磨崖仏の毘沙門天がご本尊です。神社の付近には樹木が茂り、急な石段を登り切ると、境内からは、ウェルネスパークをはじめ、閑静な東神吉の町並みが一望できます。

平之荘神社

平之荘神社は、明治初年の神仏分離まで、西隣の報恩寺の鎮守神でした。祭神は建速素盞鳴尊(たけはやすさのおのみこと)外6柱です。播磨守護赤松則村の庇護を受け、近郷の人々のお参りが盛んでした。現在の本殿は享保18年(1733)の造営と言われています。毎年10月第2月曜に行われる秋祭りには、獅子舞、樽みこしが奉納され、多くの人で賑わいます。報恩寺は真言宗の寺院で、本尊は十一面観世音菩薩です。元明天皇の和銅6年(713)慈心上人の開基と言われています。鎌倉・室町時代の石造遺品が多く、県指定重要文化財の石造十三重塔、市内最古の石造五輪塔などがあります。

報恩寺本堂

平之荘神社は、明治初年の神仏分離まで、西隣の報恩寺の鎮守神でした。祭神は建速素盞鳴尊(たけはやすさのおのみこと)外6柱です。播磨守護赤松則村の庇護を受け、近郷の人々のお参りが盛んでした。現在の本殿は享保18年(1733)の造営と言われています。毎年10月第2月曜に行われる秋祭りには、獅子舞、樽みこしが奉納され、多くの人で賑わいます。報恩寺は真言宗の寺院で、本尊は十一面観世音菩薩です。元明天皇の和銅6年(713)慈心上人の開基と言われています。鎌倉・室町時代の石造遺品が多く、県指定重要文化財の石造十三重塔、市内最古の石造五輪塔などがあります。

尾上神社

祭神は、海の神様、住吉大明神です。境内には謡曲「高砂」に謡われた相生霊桧「尾上の松」があり、現在の松は8代目です。国重要文化財の「尾上の鐘」も代表的な朝鮮鐘として有名です。「尾上の鐘」にはその昔、海賊に盗まれて海に沈められた後、漁師の手によって引き上げられ高野山に奉納されたが、鐘をつくたび「おのえへ、いの〜」と聞こえたため、尾上神社に戻されたという伝説があります。

八幡神社

祭神は息長足媛命(おきながたらしひめのみこと)、品陀別命(ほむだわけのみこと)、仲姫命(なかつひめのみこと)で天平勝宝年間に孝謙天皇のご願所として建てられました。九州の宇佐八幡に向かう和気清麻呂が道鏡の家来に襲われたとき、一頭の大猪が現れ清麻呂を救ったという伝説があります。それ以来、厄除の大神様として崇拝されるようになり、宗佐の厄神さんと呼ばれています。2月18・19日の厄除大祭には多くの参拝者が訪れ、露店や植木市で賑わいます。

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