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黄泉の国(あの世)とこの世の境とされ,古代出雲神話の中で,イザナギ(伊邪那岐)命が,先立たれた妻イザナミ(伊邪那美)命を慕って黄泉国を訪ねて行かれるその入口が黄泉比良坂であると伝えられ,古事記ではこの地を出雲国の伊賦夜坂であるとしており,「神蹟黄泉比良坂伊賦夜伝説地」と刻まれた石碑が建っています。
木造3階建て総ガラス張りの柿小屋につるす柿は,オレンジ色の珠すだれのようで,秋の風物詩となっている。
開設:7月上旬〜8月下旬
漁業・海運・商売の神,事代主命と美穂津姫命を祀る。代表的神事として,青柴垣神事と諸手船神事がある。また収蔵品として諸手船,そりこ,奉納鳴物等重要民俗資料あり。
出雲風土記に載る古社。大社造の三殿並立の本殿は重要文化財。祭礼は年に75回にのぼるが9月24日の御座替神事と,11月20日から25日までの神在祭りが有名。
醍醐天皇のころ、菅原道真公が九州大宰府へ配流される途中に先祖野見宿禰(のみのすくね)の霊廟に詣でるため、この地に立ち寄り数日間滞在したと伝えられ、公の死後、里人がその徳を慕い、小さな祠をつくり、梅を植えて祀ったのが三刀屋天満宮の始まりといわれている。白潟天満宮、菅原天満宮(ともに松江市)と並ぶ出雲三天神のひとつとして、学業成就祈願の参拝者で賑わう。
弘安寺は、もとは松渓院と称し、広瀬町富田の地に天平十一年(739年)に開かれたとされている。戦国時代、尼子氏の祈願所であったが、尼子氏の衰退とともに現在の大東町南村の地に移され、尼子氏家臣の牛尾氏の菩提寺となり、その後牛尾氏の衰退によって弘安寺と名前を改めたといわれている。出雲観音霊場第15番札所。
蓮華寺は、天平年間(729〜748年)に行基が開創した、または、延暦年間(782〜805年)に伝教大師が開創したとも伝えられている。本尊の十一面観世音菩薩は、仏師賢門子(けんもんし)の作といわれ、33年ごとに開扉される秘仏。出雲観音霊場第14番札所。
天平十七年(745年)に行基が創建したといわれ、33年に一度開扉される本尊の「千手千眼観世音菩薩」も行基の作と伝えられている。出雲観音霊場第13番札所。
寿福寺に残される永禄五年(1562年)銘をもつ鰐口(わにぐち)は、県の有形文化財に指定されている。出雲観音霊場第12番札所。