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緒方洪庵の墓

江戸後期の蘭学者・医者。岡山に生まれる。蘭学を学び天保9年大阪で蘭学塾を開業し、この間「適々斎塾」(適塾)を開いて多くの英才を育てた。

於大の墓

江戸徳川家の始祖家康の生母。京都見物中亡くなった。家康が遺体を江戸に運ばせ小石川の地で荼毘に付した。伝通院は、於大の法名「伝通院殿」による。

大田南畝の墓

江戸の狂歌の大家。牛込御徒町に下級武士の子として生まれる。号は四方赤良、晩年は蜀山人。

旧細川侯爵邸(和敬塾本館)

昭和11年竣工、都内で戦前最後の洋風豪邸。熊本細川藩の大名細川家は、昭和20年までここに居住した。

西村茂樹の墓

文政11年(1828)に江戸の佐倉藩邸で生まれ,著名人について儒学・洋学・砲術を学んだ。明治6年(1873)には福沢諭吉等と明六社を起こし,啓蒙思想運動を展開した。後に東京修身学社を創立,以来伝統的な日本道徳論を強調し,皇室中心の修身倫理観の基礎を築いて戦前の学校教育に浸透させた。

近藤重蔵墓

江戸時代後期の著名な北辺の探検家で書誌学者。寛政10年(1798)松前蝦夷地御用に任命され,この間,数回にわたって千島列島及びその周辺の探検を行なった。その際エトロフ島に「大日本恵土呂府」の標柱を立てるなどして北辺の防備や開拓に尽力した。後に書物奉行となり,多くの著作を残す。

高村光雲旧居跡

明治木彫界の中心として,伝統的木彫の正統を伝えた。明治25年から昭和9年に没するまで住んだ。

原氏墓所

徳川時代の著名な儒学者原氏一族四代(原双桂・敬仲・念斎・徳斎)の墓が、建墓当時の状態のまま現存している。

最上徳内墓

江戸後期の探検家。本多利明に天文・測量・地理・航海を学んだ。天明4年(1784)幕府の北方測量隊に随行して蝦夷沿岸を巡視,さらに千島方面の調査に向かい,日本人で初めてウルップに渡り,功により士分に列した。その後も千島諸島の探検を重ね,のち箱館奉行支配調役となる。

千姫の墓

徳川二代将軍秀忠の長女。豊臣秀頼に嫁入し,大坂夏の陣で救い出された。

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