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サトウキビ畑

高さ3〜6mの丈があり、茎からのびた葉も1mを超すというサトウキビが一面に広がっているサトウキビ畑は、沖縄を代表する風物となっており、沖縄の農業生産額の首位を占め、また、砂糖の原料となる事から、重要な作物ともなっている。

シーサー

屋根に置いて、外部から侵入する魔物を払いのける役目と、火伏せの役目をすると信じられている。石獅子は、外来の思想によるもので、古い時代は王宮などの門や墓陵の屋根に立てて権威の象徴とし、一面では魔物払いの役目を果たした。村落においても、火伏せの目的で火難をしばしばもたらす山へ向けて立てるなど、村落共同体の防禦として獅子を立てた。それらが、民家の屋根にいつごろから置かれるようになったかは不明だが、最も一般的になったのは、民家に瓦葺きが許された明治20年代以降のことであろう。屋根獅子には、素焼製と漆喰塑像がある。素焼は壷屋窯で焼いたもの、漆喰製は屋根左官の手になるものである。後者は、ポーズのとり方や表情などが変化に富んでおり、面白さがある。

石敢当

「イシガントー」(石敢当)は魔よけ石である。長方形の平たい石に「石敢当」の文字を刻んでおり、これを屋敷の外に向けて立てる。辻やT字型道路の突き当りは悪鬼が横行するところで、この石を立てることにより、屋敷内へ侵入する悪鬼を払いのけることができると信じられている。「石敢当」は中国の武将の名であるといわれ、この思想も中国から入ったといわれている。しかし一方では、古くからの石に対する信仰が本来的なものと解するむきもある。奄美の喜界島ではマジムンパレイシ(魔物払い石)、同じ奄美諸島の与路という島ではアタリ(当り)、沖縄の久米島ではチチャーイシ(突当り石)というように、無文字石に対するこのような呼び方も聞かれる。刻字のある石敢当は、首里・那覇の都市地区から地方へ広まったと考えられる。渡名喜島には無文字の石敢当が多いが、これをカンデーイシと呼んでいる。「敢当石」の意である。このように石敢当が、「敢当石」・「石厳当」・「散石当」または「石散当」と誤って呼ばれたり、刻まれた例もある。

デイゴ

デイゴは沖縄県の県花。3〜5月ごろ真紅の花を咲かせる。市内を流れる久茂地川沿いには延々と2kmにわたって、254本が植えられている。宜野湾市の普天間神宮から大山にかけては130本、沖縄市では70本のデイゴが植えられている。

首里金城町石畳道

石畳道は1522年、尚真王代に初めて造られた。首里城の入口を起点とし、金城坂、金城橋、識名坂を経て真王橋に達し、延長340m。琉球石灰岩の平石を敷きつめ、何代もの人々の往来で、なめらかな光沢をたたえている。首里城内外の美化政策と、貿易港那覇に至る基幹道路として舗装され、和寇撃退の為にも利用されたという。現在残っている石畳は238mにわたり、約30m下った所には東西約50m、南北約15mの地域に大赤木6本、琉球榎1本の巨木が見事に繁茂し、苔むす石畳や赤瓦屋根の民家とともに、古都首里の城下町を思い起こさせる。大アカギのうち最も大きいのになると、樹齢が300年、胸高周囲5.2m、樹高13m、枝ばり17mにも達し、1972年、国の天然記念物に指定されている。

識名園のシマチスジノリ発生地

隆起サンゴ礁地帯の淡水中に生じる珍しい紅藻類。

円覚寺跡のスイレン

総門内の放生池に大賀ハスが植えられている

円鑑池

龍潭池につながり天女橋,中島の弁財天堂がみどころ。

龍潭

旧首里城跡。冊封使を招き爬竜船競漕を催し歓待した。

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