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明徳寺

天草島原の乱後、初代代官鈴木重成が建立した。漕洞宗の禅寺。明徳寺は正保2年(1645)創建、代官の懇請によって来島した、山口県瑠璃光寺15代の禅僧中華珪法禅師が開祖。山門は豪壮で享保2年(1714年)三世丹州寿鶴禅師の代に建立されたもので、「祖門英師行清規流通仏陀正法」「将家賢臣革弊政芟耶蘇邪宗」の双聯が掛かる。

本渡カトリック教会

教会内にはルルドの洞窟を模した場所がある。

染岳観音院

真言の霊場天草の高野山とよばれ、古くから島民の信仰を集めている。現在は曹洞宗寺院となっている。境内には縁結びの石がある。

古寺古塔群

五輪塔型外7基の天草氏縁の古塔群。

天草の乱激戦の跡

全国にもまれな多脚式アーチ型石橋の祇園橋(国重文指定)付近で橋脇に碑が立つ。天草・島原の乱で町山口川をはさんでキリシタン軍と唐津播との死闘が繰り広げられた。

殉教戦千人塚

周囲20mの半球形の石塚。天草の乱での両軍の戦死者の塚。春はソメイヨシノがきれい。

妻の鼻墳墓群

地下式板石積石室墓35基の墳墓群。

本戸城跡

天草尚種のとき、永禄年間(1558〜69)に天草島の入口、いまの市役所裏の山に築かれた。天正17年(1589)、加藤、小西の連合軍に攻められた城主の天草種元は、南蛮づくりの甲冑の上に聖衣を着、奮戦し討死。また寛永14年(1637)の島原の乱では、唐津藩の代官が居城していたが、一揆軍に攻められ敗死。

大松道古墳

古墳時代後期の豪壮な横穴石室で羨門外郭も巨石で囲ってある。

鈴木明神伝碑

天草島原の乱の後、復興に力をそそいだ鈴木重成、重辰、正三の事蹟を詳かに記してある。

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