全日本の観光地へ
公開:9:00〜17:00(入館は16:30まで) 休館:水年末年始12月28日〜1月4日
尾崎放哉は、大正期の俳人で、小豆島八十八ヵ所霊場58番札所南郷庵でその生涯を閉じました。放浪の生涯の中で数多くの優れた自由律の俳句を残した大正期の俳人、尾崎放哉。彼がその一生の最後にたどり着いたのが、小豆島、西光寺奥の院、南郷庵でした。この記念館は放哉が大正14年夏から8ケ月を過ごした南郷庵の往時の姿をそのまま復元したもので、放哉ゆかりの文献などが豊富に展示されています。
小豆島の海の玄関口・土庄港にある、小豆島出身の作家、壺井栄の普及の名作である「二十四の瞳」の映画化を記念して建てられたブロンズ像。平和と幸せを求める永遠の願いが込められており、島へ訪れる人をやさしい瞳で迎えてくれます。
豊島石(角礫凝灰石)で造られた香川県では最古の石鳥居。室町時代に建てられた、県指定文化財にも指定されている鳥居で、その雄大な姿は昔の家浦八幡神社の社運隆盛を物語っています。
「島四国」とも呼ばれている小豆島の霊場。四国霊場の約10分の1の手軽さながら、その霊験はあらたかとあって、年間を通じて多くのお遍路さんが訪れる「島四国」小豆島八十八ヶ所霊場です。山岳、野、谷と美しい自然の中に点在する霊場を訪ねれば、心も体も洗われるよう。国指定の重要文化財や天然記念物に指定されているものも多く、山岳霊場はハイキングコースとしても最適です。車ならば2〜3泊、歩いてなら7〜8泊の道程。
小豆島八十八ヵ所霊場第54番札所・宝生院の境内には、国の特別天然記念物で日本最大のシンパクがあります。応神天皇の手植えによるものと伝えられ、根本の周囲は16.6メートル、樹齢は1500年以上と推定されています。
江戸幕府は、冬・夏の陣で落城した大坂城を修築するために必要な石垣などを、小豆島の丁場(採石場)から切り出し船で運んでいました。小海地区には大坂城修築用の石垣石やそげ石が残り、また丁場跡は当時を証する史跡のひとつです。石工小屋は残石棟・切出し棟・運搬棟・加工棟・創作体験棟・石と化石の棟からなり、丁場・残石に関わる写真などの資料展示から、当時の石工道具や採石方法の紹介・運搬・加工について学ぶことができます。また、学術的に珍しい貴重な化石なども展示しています。これらの残石や丁場は、昭和46年に「史跡・大坂城石垣石切とび越丁場跡および小海残石群」に指定されています。
大坂城の石垣用に巨石を切りだした丁場跡です。加藤肥後守の家紋入りの石も残っている、県指定史跡です。
富丘古墳群は、富丘山頂から東方に下る尾根に断続的にある約300mの墳列です。京都男山石清水八幡宮の別宮であったこの富丘八幡神社は場所的にも阿豆枳嶋の中心的役割ももっていたのではないかと感じとれる神社です。本殿以外にも本殿右の若宮社、後方の五宮神社で成されており、本殿前にある石馬は脚が三本折れており伝説では、よなよな麓の森田へ下りて稲を荒らし回り、困った百姓が叩き折ったとされている石馬です。その後稲の被害はなくなったといいます。そして、この地は全山古墳群でもあり、山頂からは銅鏡も発見されており今は、富丘古墳神として祀られています。
定休日:土・日・祭日、年末年始 見学時間:9:00〜16:0012:00から13:00の間は休館
ごま油の歴史や道具、搾油工程などを解りやすく紹介しています。希望者にはごま油のテイスティングも。必ず事前に予約が必要です。お土産付。
約330年前の江戸時代前期、農業用ため池の完成を祝って始まったとされる「肥土山農村歌舞伎」(県無形民俗文化財)は現在、地元の保存会によって毎年5月3日に離宮八幡神社の舞台で奉納されています。