観光地検索

全日本の観光地へ

1740 件の 52 ページ目 (0.002 秒)

海音寺潮五郎文学碑

NHKドラマ「天と地と」の著者で文学碑には「私の人間美学はここで形成された。当時の校風が男はいかにあるべきか私に教えた・・・(後略)」

与謝野鉄幹・晶子歌碑

鉄幹の父は僧侶で明治14年加治木の説教所(性応寺)へ転居。9歳の鉄幹も父に従い1年余りを過ごした。その頃、鉄幹が黒川の山から、たぶの木をとって植えたのが現在では巨木となっている。昭和57年、その近くに夫妻の歌碑が彫刻家法元六郎氏により製作され建設された。鉄幹はのちにこの木と再会した喜びをうたったもので鉄幹「老の身の相見て嬉しをさなくて加治木の寺に植ゑしたぶの木」晶子は加治木の五老峰をうたった晶子「加治木なる五つの峰の波形の女めくこそあはれなりけり」の二首。

南浦文之の墓

文之和尚は禅僧で名は玄昌、日向国南郷外浦に住んでいたので南浦と号した。島津義久・義弘・家久に仕えて島津家の政治・外交に活躍。朱子学に秀で、漢籍の訓点を施し後世まで「文之点」として日本儒学を発展させた。また、鉄砲伝来の様子を資料や伝承によりまとめた「鉄炮記」も記している。

高岡公園

加治木市街地を一望できる標高155mの高台に位置し,6.5haの広大な敷地に展望台,テニスコート,大型のコンビネーション遊具施設等がある。桜の名所としても有名。

加治木城跡

周囲4kmの堅固な加治木歴代の支配者の居城。

龍門司坂(国指定史跡)

大口筋の一部で、寛永12年(1635)に造られ、100年後に石が敷かれました。石は近くの樋ノ迫山から切り出され、全長は1500m余りと言われますが、現在は約500mが当時の姿で残っています。苔むした石畳と杉木立の景観が美しく、「篤姫」や「龍馬伝」といった大河ドラマのロケ地にもなりました。明治10年(1877)には西郷隆盛の率いる薩軍がこの坂道を通って熊本へ向かいました。

高倉展望台

さえずりの森の中にある。錦江湾に浮かぶ桜島の勇姿や市街地が一望でき、その景色はまさに絶景。

加治木

麓集起源の町で、江戸初期に島津義弘が山城を平地に移し、屋形、武家屋敷、町、船着き場などを造った。城と武家屋敷は旧砂丘の高台にあって、石垣や生垣に囲まれた門構えの屋敷が続いていたが、現在では往時の面影を残す所は少なくなってきている。仮屋馬場通り500m。

黒川岬

岩間に洞窟があり昔は観音堂が安置してあったといわれている。18代島津家久が詠んだ歌は錦江湾の名称のおこりといわれる。「浪のおりかくる錦は磯山の梢にさらす花の色かな」

金山橋と板井手の滝

藩政時代、旧道は龍門司坂を越えて小山田に通じていたが、明治12年頃島津家が当時の加治木港を起点として山ヶ野金山に通じる道を開いた。このとき石橋の金山橋が築かれた。川床から高さ10mあり上流の板井手の滝との組み合わせが美しい。

旅行情報