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船守神社

船守神社には、国の重要文化財に指定されている本殿のほか、拝殿、神饌所、舞台、神輿舎がある。創建など詳細は明らかにされていない。境内には、4本の幹が癒着した珍しい形の楠木が神木として祀られており、この木は樹齢約800年の由緒ある木で、府の天然記念物にも指定されている。

西陵古墳

その規模は全長約210m、後円部直径約115m、前方部幅約100mを誇っている。墳丘は三段築成で現在も良く残り、西北側のくびれ部には「造り出し」を有している。古墳の周濠は、いつからか農業用水の溜池としても利用されており、周辺の畑には農作業に取り組む人の姿が多数見られる。

田尻海洋交流センター

営業:7:00〜17:00 休業:火曜日(祭日の場合は営業)

南海本線吉見の里駅から徒歩約10分。関西国際空港の対岸の町・泉南郡田尻町にある漁業と海洋レクリエーションの交流拠点。ヨットクラブやレストランもあり、洒落たウッドデッキからは海と空、そしてマリーナに係留されたヨットの景色を目の前に眺めることができる。漁港内で毎週日曜日(午前7時から正午まで)に開催される朝市では、水揚げされた鮮魚をはじめ、野菜やパン、菓子などを販売。地元の漁師さんとともに刺し網漁やカゴ漁に挑戦できる体験漁業は、すぐに獲れた魚を漁師さんが捌いてくれ、そのままバーベキューコーナーで食べられる。初心者や子どもたちも楽しめる海上釣り堀「海釣りぽ〜と田尻」では、マダイやシマアジなどの放流も。釣り大会やイベントなども開かれている。

春日神社(田尻町)

宝亀年間(770〜781年)、吉見小佐治という人が、今の南海本線・吉見ノ里周辺を開拓して村をなした。このときに春日大明神を勧請したと萬歳記に記されている。武甕槌命(たけみかずちのみこと)、斎主命(いわいぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)などが祭られている。裏手には全国でもめずらしい玉葱栽培の祖碑がある。

真光寺

真光寺はもともと嘉祥年間(848〜851年)に三論宗「嘉祥法泉院」として開基されたものだが、1336年(延元元年)、楠正成の甥である和田源秀が真言宗「嘉祥寺」として再興し、後醍醐天皇の勅願所となった。さらに1342年(興国3年)、覚如上人が紀州へ赴いたおり、嘉祥寺に滞在したことを機に浄土真宗に改宗。そして1464年(寛正5年)、蓮如上人が訪れて嘉祥寺の寺号を「真光寺」、地名を嘉祥寺としたという。

奥山雨山自然公園

大阪府の南部、熊取駅から南海バスで「大阪体育大学前」を下車し、徒歩約30分。泉南郡熊取町の水源である永楽ダム上流に広がる広大な公園。昭和59年(1984)7月に完成し、広さ130haの園内にはアカマツやヒノキなど天然林が豊かに繁り、森林浴に絶好のスポットだ。永楽ダムの周囲は約2kmの手頃なハイキングコースとなっていて、春には約1,000本のソメイヨシノが美しく咲き競う。奥山雨山自然公園内にある永楽ダムと桜の道は、「大阪みどりの百選」のひとつにも選ばれるほどで、多くの市民も憩いの場所でもある。快晴の日には和泉葛城山系や関西国際空港などが眺望できる展望台もおすすめ。小学校の野外教室としても利用されることが多く、子供たちの元気な声がこだまする。

永楽ダム

永楽ダムには、ソメイヨシノをはじめとする700本の桜が植えられている。ダムには約2キロメートルの周回路が整備されていて、ランニングや散歩に最適だ。また、付近一帯は奥山雨山自然公園になっており、いくつもの広場やハイキングコースが整備されている。桜が散った後も、様々な人がそれぞれの季節に自然との触れ合いを楽しんでいる。

中家住宅

営業:10:00〜16:30(入館は16:00まで) 定休日:水曜日(祝日の場合は翌日)年末年始(12月29日〜1月3日)※1月,2月,8月の休館日は祝日を除く月〜金曜日

JR阪和線熊取駅から東へ徒歩約15分。平安時代、後白河法皇が熊野行幸の際に立ち寄ったとされる由緒ある旧家で、江戸時代には岸和田藩の庄屋をつとめた中家の住宅を保存・公開したもの。1964年に国の重要文化財に指定されている。大きな表門をくぐった先にある主屋は入母屋造り、茅葺き・妻入りで江戸時代初期の建築と考えられる。豪快で独立性の高い土間は近畿地方でも最大規模、寺院の庫裏や武家の台所を思わせるほどだ。現在は主屋と表門・唐門を遺すのみだが、江戸時代後期の古図には、別棟の客殿(書院)や長屋門、郷倉をはじめとする付属屋が描かれていて、はるかに大きい屋敷構えだったことが分かり、往時の姿がしのばれる。

淨るりシアター

営業:公演により異なる 定休日:毎週火曜日(祝日の場合翌々日)年末年始

四方を山々に囲まれ、清流が田畑を潤す能勢町。約200年前、大坂で浄瑠璃の修行を重ねた杉村量輔が能勢で浄瑠璃の稽古を始めたことをきっかけに、文化年間(1804〜17)、初代太夫(家元)が誕生。たびたび浄瑠璃会が開かれるようになり、いつしか農業のかたわら、土地固有の芸事として浄瑠璃の歴史が育まれてきたという。人形なし・語りと太棹三味線で進行する独特の能勢浄瑠璃は昭和49年に大阪府無形民俗文化財、平成11年には国の無形民俗文化財に選択。平成5年、淨るりシアター設立をきっかけに、新たに人形と囃子を加えた「能勢人形浄瑠璃鹿角座」も誕生した。同シアターでは人形浄瑠璃公演が随時行なわれる他、さまざまな町の催しも開催されている。

長谷の棚田

多くの観光客を引き寄せる棚田。しかしこの棚田は、地元の農家の苦難の歴史を物語るものでもある。その昔、水の豊かな平地の少なかったこのあたり。そこで長い年月をかけて、少しずつ山を切りくずし、灌漑の工事を続け、ひとつひとつ田んぼを増やし、子孫に伝えてきたのだ。この事から想像されるように、地元の人の棚田に対する愛情はとても強い。ここでは、都会の人に大阪府民農園としての貸し出しも行っている。千早赤阪村の棚田とともに、日本棚田100選に選ばれている。

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