稚泊航路記念碑
北海道稚内市開運
大正12年、鉄道省により稚内〜大泊間に連絡航路が開設されました以後終戦の昭和20年8月に閉鎖されるまでの22年間の業績を讃えるため、昭和45年11月に建立された記念碑です「稚泊連絡航路」22年の歴史の中で行き来した乗客は284万人にものぼります碑文この地稚内から、いまは異国の地、樺太大泊に、国鉄稚泊航路が開設されたのは、宗谷線が稚内まで全通した翌年の大正12年5月1日である「この航路は、167kmの海上を約9時間を要し、ときに宗谷海峡特有の濃霧、あるいは結氷、流氷との悪戦苦闘によりまもられてきた昭和2年砕氷貨物船亜庭丸(3,593t)が就航するに及び、その往還は飛躍的に繁栄の一途をたどってきたしかし、終戦直後の昭和20年8月24日18時、22年にわたる歴史的使命を終え、その幕を閉じたのである今ここに星霜20有余年、稚内桟橋がその面目を一新するときにあたり、有志相図り稚泊航路の輝かしい業績と、幾多先人の苦労を銘記してこの碑を建立し、永久に記念するものである昭和45年11月吉日有志を代表して旭川鉄道管理局長深沢今吉稚内市長浜森辰雄