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猿田神社は、社伝によれば垂仁天皇25年(紀元前5年)の創祀<そうし>と伝えられ、猿田彦大神<さるたひこのおおかみ>・天鈿目命<あめのうずめのみこと>・菊理媛命<くくりひめのみこと>が祀<まつ>られています。猿田神社本殿は807年(大同2)に、勅命<ちょくめい>(天皇の命令)によって改築され、その後もたびたび修築が行われました。しかし、1566年(永禄9)に安房里見氏の家臣・正木時忠と海上氏の戦いで本殿の他、旧記(古文書)までもが焼失してしまいました。1570年から1572年の元亀年間に本殿などが再建さ
川口神社の創建は、986年(寛和2)と伝えられており、速秋津姫命<はやあきつひめのみこと>を祀<まつ>っています。ゆるやかな石段を登った所に、入母屋造り、瓦葺きの社殿があります。当神社は、その昔、白紙明神<はくしみょうじん>と呼ばれていましたが、陰陽師<おんみょうじ>の安倍晴明<あべのせいめい>にまつわる伝説があります。
延長1,650m(橋梁部1,145m)「人と自然にふれあう躍動感のある橋」をテーマにカモメの羽ばたきをイメージし、デザイン。
銚子大橋は、利根川に架かり銚子市と茨城県神栖市を結ぶ全長約1.5Kmの橋です。昭和37年(1962年)に開通し、千葉、茨城をつなぐ橋として使われていましたが、老朽化のため、平成16年から架け替え工事が行われ、平成24年度に完了しました。川に架かる橋としては日本最長です。橋の中央から眺めた太平洋や利根川河口の景観は素晴らしく特に夜明けと太陽は雄大そのものです。
地球の丸く見える丘展望館は、下総台地の高所(73.6m)である愛宕山の頂上にあります。北は鹿島灘から筑波山を望み、東と南は一望千里に太平洋の大海原を、西は屏風ケ浦から九十九里浜まで見渡せます。標高約90メートルの展望スペースからは360度の大パノラマが広がり緩やかに弧を描いた水平線によって、地球の丸さを実感できます。
犬吠埼灯台は、英国人技師のリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計・施工監督<しこうかとく>のもと、1872年(明治5)9月28日に着工し、2年後の1874年(明治7)11月15日に国内24番目の西洋式灯台として完成して点灯しました。初めて国産レンガが使われた灯台で知られています。
市街の北、利根川河口にある。沿岸・沖合漁業の基地で、登録漁船数約450隻に達し、漁期になると近県はもちろん九州・北海道方面からも多数の漁船が集まり活況を呈する。取引は入札制で以前のようなセリの声は聞かれない。
外川<とかわ>の町並は、紀州広村(現在の和歌山県有田郡広川町)から移住してきた崎山治郎右衛門が1658年(万治元)前後に碁盤目状<ごばんめじょう>の街づくりをしたものです。かつてイワシがたくさんとれた頃は「外川千軒大繁昌」と言われたほど賑<にぎ>わいましたが、江戸時代は幾度も津波の被害を受け、赤松宗旦が著した『利根川図志』(口訳版)にも、「むかしは家が数千軒あった漁場であるが、今から七・八十年前に、津波のため、家を流されてなくなってしまったのだが、現在ではまた、家が数多く出来て大漁場となった。」と記され
銚子の海岸一帯に夏になると咲き乱れる花で、別名「宵待草」。竹久夢二の同名の詩は、銚子で読んだもの。市の花に指定されている。
樹齢700年余の「臥龍の藤(がりゅうのふじ)」と数株の藤があり、4ケ所の棚に咲く藤の花すだれは、藤寺の名に恥じない見事な景観。