岩瀬家菩堤所
千葉県香取郡東庄町笹川い2280西福院境内
笹川(岩瀬)繁蔵は、文化7年(1810年)に現在の東庄町笹川の代々醤油と酢の醸造を業とした岩瀬嘉三郎の第三子として生まれ、幼少の頃から鋭敏の聞こえ高く漢学、数学、剣を学び、のち江戸角力の千賀ノ浦に望まれ入門し岩瀬川として力士になりました。しかし江戸より帰るとほどなくして、当時笹川の賭場を仕切っていた芝居の文吉から縄張りを譲り受け笹川一家を張ることになります。天保13年(西暦1842年)7月27日、諏訪神社の境内で笹川繁蔵が奉納相撲を名目として、農民救済のため開いた花会は、盛大なものだったと言われています。