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14世紀末から16世紀末にかけ、土岐頼雄3代、堀池備中守、稲葉頼道らがいたといわれる。
「春日局」の父斉藤利三の屋敷跡で「春日局」はここで生まれたとされている
吉田休三入道が城を築いた。
江戸時代に尾張徳川家や大垣藩、旗本諸家の所領地が複雑に分布した農村地帯であり、中心をなす旧三輪村は北方山間部への入口にあたり、物資交易の要地として街道に形成された街村である。町家は、全体に建ちが高く、明治から大正にかけてのものが大半を占める。ただ商店街のため町並み景観は大きく変わった。
揖斐川中域の景勝。西平ダムの建設によってできた人造湖の湖岸には数軒の料亭があり、川魚料理やシシなべが名物。
本町津島神社の前にあり、1790年琉球使節が墨俣宿を通行した折、天王社の石燈篭に通行記念の刻銘文をお願いし奉納する。「琉球国儀衛正毛延柱書」と記されている。
美濃守護職土岐頼康の弟の墓。明台寺境内にある。
源義円は頼朝の異母弟にて,弟義経と共に常盤御前の子である。
源平墨俣川の戦いで,平盛綱に討たれた義円の墓。義円は義経と共に常盤御前の子。
墨俣川にお地蔵様の形をした朽ちた橋杭が夜光を放っていたという伝説をもつ。現在、明台寺本堂に安置されている。