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旧足守藩主・木下家の庭園で、小堀遠州の作と伝えられ、池泉回遊式庭園の好例として知られる。園内に吟風閣、利玄歌碑、僧・寂厳碑、マリア灯篭などがあり、風雅な趣きが感じられる。
水戸の偕楽園、金沢の兼六園と合わせて日本三名園に数えられる回遊式庭園で、国指定特別名勝となっている。岡山藩主・池田綱政が、家臣の津田永忠を工事監督として築造させたもので、元禄年間(1686年〜1700年)にほぼ完成したが、その後何度も模様換えや区域の拡張が行われるなどして、現在の規模までになっている。明治4年(1871年)に後楽園と改称して一般公開し、同17年(1884年)に県営に移管した。延養亭から東面して望む沢の池と唯心山や、それらを取りまく広々とした芝生などが描きだす平明な景観が眺めの中心ともいえ、遠景に瓶井山の多宝塔を点として、操山のなだらかな山容が借景となっている。
鶴島・亀島を配した蓬莱庭園。社殿と調和し荘厳な趣。
一般に回遊式といわれる庭園で、広い苑池を造り、これをめぐって築庭されており、池に臨んで建てた亭舎の座敷から全景を観賞することもでき、或いは園路をめぐりながら移り行く景色を楽しむこともできる。庭の東南隅に三座の築山を設け、東の池畔にも一山を築き、この築山と築山の間の入江に石橋を渡している。江戸時代初期の武家の下屋敷の庭園遺構を伝えるものとして、貴重なものである。
岡山藩主・池田綱政が、元禄11年(1698年)に建立した、関西屈指の臨済宗の大寺である。庭は、絶外和尚が津田永忠(岡山藩家臣)と共に築いたといわれる。書院の東にあたる山を背景にして、面積1,500坪(約50a)の土地に山に沿って心字形の池を配し、山畔の中ほどに枯山水の石組みを造り、書院と池との間に砂敷を拡げて海景を表している。北手の紅葉谷の奥に二つの池があって、これを水源としているので池の水はいつも一杯に湛えられている。
豪壮かつ優美な比翼入母屋造りの国宝。数多くの吉備津彦命伝承が残り鳴釜の神事は上田秋成の「雨月物語」でも著名。総延長約400mの長大な回廊も奇観である。
黒住教教祖・黒住宗忠を祭神とする。
老松の茂る寺域に異国的な建物が並ぶ。日本三大稲荷の一つ。自然探勝の起点。古くは天平年間の開山という。別名、高松稲荷ともいい、日蓮宗妙教寺が稲荷信仰をも合わせた神仏合体の霊場である。
吉備津彦命を祀る。門前にある2基の石灯籠は高さ11.5m、笠の広さ8畳敷きあって、東洋一といわれる。
かつて備前国二ノ宮として栄えた。毎年7月に行われるちの輪くぐりで知られる。