全日本の観光地へ
主神は天伊佐々彦命(あめのいささひこのみこと)です。景行天皇の皇后稲日大郎媛(いなびのおおいらつめ)が御懐妊された時、最初の皇子が大変難産だったため、七日七晩天伊佐々彦命が安産を祖神に祈願したところ、無事御出産されました。このことから「安産の神様」としてその名を馳せ、播磨随一の大社となりました。現在も安産祈願や御宮参りなど参拝者が絶えません。社殿に向かって右側手前に日岡御陵への表参道があります。
浄土宗の寺院で、和銅6年(713)慈心上人(じしんしょうにん)の開基です。高倉天皇が中宮建礼門院の安産を念じ、丹波老の坂の地蔵尊に祈願をされました。すると、いとも簡単に玉のような皇子を拾いあげたことから、平清盛に命じて、全国六十余州の国々に一体ずつ安置させたものが、本尊の「木造地蔵菩薩半跏像(国重要文化財)」です。「谷の子安地蔵」として安産祈願に訪れる人が絶えません。春の桜と秋の紅葉も見事です。※長楽寺は2011年9月4日の台風12号により甚大な被害を受け、本堂・阿弥陀堂等は土砂により全壊・流失してしまいました。現在は残ったお堂で法務を行い、復興に取り組んでおられます。
公開:9:00〜16:30
589年、聖徳太子が16才の時、秦河勝(はたのかわかつ)に命じ仏教をひろめる為の道場として建てられました。釈迦三尊と四天王を祀り「四天王寺聖霊院」と称されたのがこの寺のはじまりといわれ、播磨の法隆寺とも呼ばれています。平安時代の壁画が見つかった県下最古の木造建築物、国宝「太子堂」や、泥棒が盗み出し壊そうとしたら「アイタタ」という声が聞こえてきたため、改心したと伝えられている国重要文化財「金銅聖観音立像」など、多くの文化財が残されています。
記紀の時代の伝説が残る別名「ひれ墓」
山上に中道子山城跡が残っている。兵庫県観光百選桜名所にも選ばれている。
「寺家町」はJR加古川駅の西側一帯の大字名です。江戸時代には西国街道の宿場町「加古川宿」として栄えたところで、現在の寺家町の商店街にその名残をとどめています。姫路藩の藩役所であった陣屋、黒壁の旧家、商店の軒先に残るうだつ、光念寺の白壁など、歴史を感じさせる古い町並みが今も残っています。
一級河川「加古川」は流域面積1,730km²、幹川流路延長96kmの県下最大の川で、11市3町をうるおしています。大堰は長さ422.5mで、加古川の左岸八幡町から右岸上荘町に渡っています。治水と水需要に対処するため、9年の歳月を経て平成元年3月に完成しました。大堰上流の水面を利用して、レガッタの大会など各種行事が行われています。左岸にある大堰の事務所の南側には「大堰記念公園」があり、加古川の流れを望む憩いの空間となっています。
昭和57年3月に、加古川工業用水の安定供給を目的として建設されました。湛水面積約1km²、貯水量は1100万トンです。第1ダムから第3ダムまで3ヶ所のダムがありますが、最も大きい第1ダムは、堤高32.6m、堤頂長357.4mです。ダム湖周辺は「加古川右岸自転車道」の一部であり、サイクリングロードとして整備されています。各所に休憩所やベンチが設けられていて、自転車で走りながら、あるいは座って、透き通った水面や沿道の草花、豊かな緑のなかに広がる壮大なダム湖を楽しむことができます。
正面7間、側面6間の入母屋造、本瓦葺。和様、唐様、天竺の折衷様式の代表的なもので、応永4年(1397年)の建築と思われる。内陣の中央に、須弥壇と厨子があり、本尊薬師如来と脇侍が安置されている。
正面3間、側面4間で、宝形造桧皮葺。藤原時代の遺構である。堂内には壁画跡が残り、格狭間もみごと。安置の仏像は釈迦三尊像。